神に祀られた日本兵 台湾のしたたかな民間信仰
京都府立大教授 川瀬貴也氏
先日、大変興味深い映画を鑑賞した。遠藤協監督の「軍服を着た神様」というもので、戦前台湾で戦死した日本人が「神様」として祀られている事例を取材したもので、本紙でも紹介記事が掲載されている(6月5日付)。実はこの映画で取り上げられている事例以外にも、日本人が様々な理由で神として祀られている廟が台湾全土で50カ所以上も存在するという。
このドキュメントを撮影する「旅」に同行し、その意味をともに考察したのは、文化人類学者で、遠藤監督のゼミの先輩にも当たる藤野陽平氏(慶應義塾大学教授)である。台湾のキリスト教を研究する藤野氏と筆者は旧知の仲なので、彼が遠藤監督とともに関西の映画館で上演記念のトークショーを行った時、この映画を鑑賞したのである。
この映画はいわゆる「映像人類学」と呼ばれるものの一つである。現地に行き、そこでの営みを映像として記録することはカメラ、映画が発明された時から行われているが、映像人類学は客観的に記録するのみならず、撮影者自身もその営みに参加する、もっといえば「巻き込まれる」ように記録するものだが、この作品もその例に漏れない。
作品のテーマは「シャーマニズム」だ。台湾人のシャーマンが「日本神」の霊を降ろし(なんと日本語を話す!)、何らかの託宣(宝くじの数字を伺うような俗っぽい願いも聞いてくれる)を授けるという貴重な場面を我々は目撃する。現場の記録だけでも非常に貴重なものである。
そもそもなぜ日本人の死者が祀られているのかといえば、端的に「この世に災いをもたらしかねない怨霊(中国語だと「鬼(クイ)」)」と見なされているからである(特に子孫を残さずに死んだ霊が怨霊化する、という観念は東アジアに通底するものだろう)。例えば作中では墜落死した日本兵パイロットの霊がその事故現場近くで様々な怪異現象を起こし(たとされ)、神となって信仰を集めていく過程が取材されているが、彼は決して「英霊」として祀られているのではないことに注意するべきである。
「台湾は親日だから日本兵を祀ってくれているのだ」という一部の日本人が思い込みたくなるような物語を軽々と裏切り、日本兵の死という「帝国の負の遺産」をも飲み込む台湾の民間信仰のしたたかさと生命力こそがこの作品の肝であろう。
筆者が最も面白く思った部分は、台湾の民間信仰では、最初「鬼(怨霊)」とされたものが供物を受け取り、人々の願いに応じる神となり(これを「陰神」と呼ぶ)、次第に信者が増え神の位が上がり正式な神となる(「正神」と呼ばれる)と、いわゆる「現世利益」には応じてくれなくなる、というメカニズムである。人気のある「日本神」はすでに現世利益の神ではなくなっているのだ。
上記の紹介文で興味を引かれた方はまず映画を見て、学問的な解釈については、藤野氏も遠藤氏も寄稿している書籍に当たっていただきたい(三尾裕子編『台湾で日本人を祀る』慶應義塾大学出版会、2022年)。









