ある老僧の話
「あの時、どっちにいたのか。そこで対立し、溝ができた。その時にできた心の傷を関係者は今も引きずっています」。真宗大谷派のある老僧からそう聞かされたことがある。「あの時」とは1979年の東本願寺の報恩講を指す◆当時は大谷光暢法主と宗派内局が激しく対立した「お東紛争」の最盛期で、同年の報恩講は儀式運営の主導権争いで混乱を極めた。宗門史に「分裂報恩講」と記される大事件である◆この時、件の老僧を含む僧侶でつくる「報恩講百人集会」は法主を支持する僧侶の排除を企図した内局を強く批判した。彼らは法主への痛烈な批判者だったが、一方で宗祖を偲ぶ神聖な法要を政争の具にしてはならないと主張した。ただ、本山の儀式主宰の実効性の確保は紛争の帰趨を左右する。内局にとっては法主派の排除は譲れない一線で、双方の考えは今なお評価が分かれる◆お東紛争は俗に「改革派と保守派の対立」と説明されるが、実際には保革を問わず多様な立場や考え方があった。老僧の話は宗内に様々な分断が生じたことを示唆する◆同じ「如来よりたまわる信」を得ながら、そこには40年以上たっても心のとらわれから離れられない姿がある。弥陀の無限の慈悲を受けるには凡夫の器は小さ過ぎるのか。老僧の自嘲とも悔恨ともつかない悲しみを宿した目を時々思い出すことがある。(池田圭)