我ぞふり行く
唐の孟浩然は「春眠暁を覚えず」、また北宋の蘇軾は「春宵一刻値千金」と詠んでいる。そんな春の陽気に誘われて仕事帰りに寄り道をしている。路地を一本入って遠回りをしてみたり、少し足を延ばしてラーメン屋を新規開拓してみたりと思いのほか楽しんでいる◆小さな発見もある。夕暮れ時に子どもたちが歓声を上げる小さな公園、静かに水をたたえる用水路、次第に膨らんでいくサクラのつぼみ――。忙しなく通り過ぎていた街並みが違った姿を見せてくれる◆古今和歌集に「百千鳥さへづる春は物ごとに あらたまれども我ぞふり行く」という詠み人知らずの歌がある。鳥の鳴き声もにぎやかで様々に物事が改まる春。しかしだからこそ自らの老いを実感してしまう、くらいの解釈だろうか◆学生の時分には性別も知れないこの歌人の心情に得心がいかなかったものだが、不惑を越えて次第に理解が及ぶようになった。新奇な物事に対して以前のようには心動かされなくなり、春特有の騒々しさや気忙しさから取り残されているような感覚を覚えるようになっていた◆とはいえ喧騒の中に小さな発見ができるようになったのも一歩、和歌をより深く味わえるようになったのもまた一歩。「人生けるとき精進ならざれば、たとえば樹の根無きが如し」とは善導大師の言。そうした一歩を積み重ねてまだまだ人生を精進していきたい。(佐藤慎太郎)