維新史著す居合道範士 一瞬一瞬に命懸けたい
京都市西京区・三ノ宮神社 木村幸比古宮司
霊山歴史館(京都市東山区)元副館長の木村幸比古・三ノ宮神社(同市西京区)宮司(75)は100冊以上の幕末維新史の書籍を執筆し、居合道を指導する文武両道の神職だ。「私が神主と知らない人も多いと思うが『◯◯らしく』というのが好きではない。神社は神職の存在を感じさせないくらいがちょうどよい。それでも参拝者は増えている」と語る。
幼少期は体が弱く、ランドセルすら背負えないことも。「体力をつけるには食事と運動」と言われ、草野球で鍛えた。平安中の野球部に入ったが高校ではさすがについていけず、空いた時間に読書するようになった。
神職の家に生まれたが兄がおり、一時は「15歳まで生きられるか」と言われたため親は自由にさせてくれた。國學院大で神職資格と共にたまたま学芸員資格を取り、少林寺拳法部に入ったことが後の活動につながった。
1972年に卒業後、父が宮司を務める京都霊山護國神社(同市東山区)に奉職。松下電器産業創業者の松下幸之助氏らが明治維新を顕彰する霊山歴史館を設立した際、少林寺拳法での活躍を知る関係者が「馬力のある奴がいる」と推薦。館長の幸之助氏に気に入られて学芸員となった。「展覧会を企画し、たまに松下関係の来館者対応をすれば、なんぼでも本を読む時間があった」
居合道は京都で坂本龍馬研究の縁で高知県人会会長から学んだ。出勤前に稽古、昼は誰もいない歴史館の講堂で稽古、帰ってきて稽古。1日200本、刀を抜く生活を25年続けて最高位の「範士」となった。
表彰を機に執筆依頼があり、本を出したら好評。「『点と線』をさらに広げ、面にして全体を描く。『ディスプレー』を意識して展示を考える経験が生きた」
77年に「勤王」を讃える歴史館で幕府側の新選組の企画展を催した。「私以外の全員に反対されて『はい、分かりました』と言ったが、そのまま進めて開催したところ大盛況。実績が出ると関係者も『時代が変わったのかな』と受け入れてくれた」という。
冗談めかして「その日、ギャラが一番高い仕事が今日の自分。地鎮祭なら神主、講演なら講師」と話すが「門下生には私のまねではなく、自分を忘れるなと言っている。そして昨日の自分と今日の自分は違う。経験や知識がもたらす勘や気付きに導かれ、一瞬一瞬に命を懸けたい。神道的な生き方もそこにあるのでは」と語った。
(武田智彦)