あそか病院勤務縁に得度 「仏」の視点で医療従事
大阪府守口市 浄土真宗本願寺派善照寺 新堀慈心住職
浄土真宗本願寺派が開設した独立型緩和ケア病棟・あそかビハーラ病院(京都府城陽市)で看護課長を務める。同病院での勤務を縁に本願寺派で2018年に得度した。「自分の価値観の何と危ういことか。そうではなく、仏様の視点を考えることが医療者としての背骨の確かさになっている」との思いを深めている。
大阪府の一般家庭の出身。物心がついた頃から「亡くなっていく人の傍にいるのが自分のミッション」という思いがあり、准看護師の資格を取得できる高校に迷わず進学した。
しかし、「看護師資格の取得を目指して入学した短大で習ったのは『医療は治すもの』ということ。でも、人は必ず死ぬ。『看取っていく医療』が私の役割だと思った」と挫折して中退。30歳の時に看護学校に再入学し、緩和ケア病棟勤務の要件である看護師の資格を取得した。
その後、複数の緩和ケア病棟勤務を経て11年に先輩看護師の誘いであそかビハーラ病院に移った。「カトリックのシスターがホスピスをつくった歴史が好きで、『看護師と宗教』が一本につながった」と振り返る。
すると自然と仏教や真宗を学びたいと思うようになり、本願寺派の中央仏教学院の通信教育を受講。「どうせなら3年課程でしっかり勉強したいと、コースの内容をよく確認しないまま教師資格取得の専修課程に入学してしまった」と笑う。
真宗では「私」ではなく「仏」の視点に主語を転換することで気付きを促す。例えば病棟での夜の見回りの、ほんの合間に患者が亡くなっていることがある。「それに気付くことができなかった罪悪感を抱えてしまうが、それは医療者や私にとっての『良い死』という考えがあるから。そして勝手に『かわいそうな死』にしてしまう。しかし、仏様から見ればそこに善悪はない」
起きたことと、その善悪は別問題。主語の転換がもたらす気付きを通して「死は医療者がプロデュースするものではなく、生きていくことを一緒にクリエイトしていくもの」と考えている。
昨年7月、縁あって後継者不在の大阪府守口市・善照寺の住職に就任した。門徒十数軒の小寺院。年中行事は報恩講と永代経法要だけだったが、彼岸会・盆法要・花まつりも営むなど行事を増やした。そこに知人らも誘って少しずつだが、人が集まりつつある。「まだ“お寺ごっこ”」と苦笑するが、仏縁の不思議を改めて感じている。
(池田圭)