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『卯花日記』と安寧天皇陵(1/2ページ)

成城大教授 外池昇氏

2025年4月25日 11時10分
といけ・のぼる氏=1957年、東京都生まれ。88年、成城大大学院文学研究科日本常民文化専攻博士(後期)課程単位取得修了。博士(文学)。2009年から現職。著書に『検証天皇陵』(山川出版社)、『天皇陵―「聖域」の歴史学―』(講談社学術文庫)、『神武天皇の歴史学』(講談社選書メチエ)など、論文多数。

これから述べようとするのは、第3代安寧天皇の陵のことである。安寧天皇といってもご存じない向きもあるかも知れない。神武天皇の孫に当たる。いわゆる「欠史八代」に含まれるので、実在しなかったとされることも多い。そのような安寧天皇の陵は、奈良県橿原市吉田町にある。宮内庁による管理で、制札には「安寧天皇畝傍山西南御陰井上陵」とあり、畝傍山の西南に安寧天皇陵があることを示している。そして「御陰」というのは女陰のことでこれが井戸の名前になっていて、現在なお安寧天皇陵の南に存する。

天皇陵の中には、宮内庁が今日管理する場所は学問的には間違っていると指摘されることも少なくはないが、安寧天皇陵の場合はどうであろう。そもそも安寧天皇については「欠史八代」に含まれる位であるからその存否はしばしば問われるとしても、その陵については異論はなかった、というよりは、学界の関心が向けられなかった、というところなのであろう。ところがこの安寧天皇陵、これまで全く指摘されることはなかったが、実は近世において複雑な変遷をたどってきていたのである。

幕府は、元禄期において初めての修陵事業を展開する。大和国におけるその際の記録が『元禄年間山陵記録』(1994年、由良大和古代文化研究協会)に収められており、安寧天皇陵については、高市郡吉田村から奈良奉行所に差し出された元禄10(1697)年9月18日の「覚」に詳しい。それによると、安寧天皇陵は同村の「安寧山」とされている。しかも興味深いことに同「覚」は、「右之外ニ」としてやはり同村の「はなかけ山」をも挙げるのである。これは、吉田村としては「安寧山」を安寧天皇陵としてはいるが、それに準じる場所として「はなかけ山」があるということと思われる。そして、吉田村の中心からは「安寧山」は東南に、「はなかけ山」は西北にあるというのである。また、右にみた『元禄年間山陵記録』の続く部分には、安寧天皇陵について「大和国高市郡吉田村ノ巽(東南)マナゴ山ノ内字安寧山ニ葬奉ル」とあるが、これは右にみた「覚」にある「安寧山」と「はなかけ山」の序列の反映とみることができよう。

さてこの元禄10年から132年後の文政12(1829)年4月22日に、この問題、つまり吉田村の「安寧山」と「はなかけ山」のどちらが安寧天皇陵かという問題に正面から突き当たった人物がいる。津川長道という。当時長道は難波の商家の隠居であったが、本来は安寧天皇陵にも程近い今井町の出身である。日付まで正確にわかるのは、事の次第が長道の道中記に詳しく記されているからである。その道中記を『卯花日記』(宮内庁書陵部図書寮文庫所蔵)という。以下同日記からみる。

その日、長道は友人と連れ立って畝傍山の辺りを踏査し神武天皇陵や綏靖天皇陵から大谷村を経て吉田村に着いた。そこでまず長道は安寧天皇陵からは南に当たるとされる「御陰井」を訪ねて、そこから安寧天皇陵を求めて北へ歩いた。つまり、132年前の吉田村による「覚」のいう「はなかけ山」である。そこで長道は「小高き山」の「上」にある「祠」に至り、「池の跡」とみえる「竹むら(叢)」を見つけた。そしてこの山を登ると、この山が畝傍山の続きであって南を「表」としていることが確認された。その上で長道はこの「はなかけ山」を「此なん安寧天皇の御陵に疑なし」とした。それから長道は「祠」に額突き、山を下りたのである。

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