PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
中外日報社「宗教文化講座」
第22回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

黎明の京都学派

- その哲学的発足点の探究 -

浦井聡氏

ここで田辺は『科学概論』が西田の影響下で書かれたこと、田辺の西洋哲学理解は西田というレンズを通して見ている部分があることを明言している。『科学概論』は田辺の東北帝国大学での同名の講義を元に執筆した科学哲学の書であり、科学者・哲学者の両方面に向けた哲学入門を意図している(T2:157)。だが同時に、田辺が「自家の哲学組織」(同上)、つまり自身の哲学体系の構築に注力したと述べるように、同書では1910-18年の田辺の思索の体系化が試みられている。この体系が受けた西田からの影響は、以下のふたつの対応関係にある田辺の記述から窺える(便宜のため、対応関係を下線で示す)。

余は此書に於て認識論上カントの流を汲む先験的構成主義を採りつつ、之に直観を基とする実在論的基礎を与えんことを試み、終に一種の唯心論的形而上学を主張するに至った。(T2:157)

余は新カント派の批判ベルグソンの形而上学とを独逸唯心論中殊にフィヒテの思想に於て結び付ける所に現代の哲学問題があると思う。(T2:166)

田辺が同書で示したのは、フィヒテに基づきドイツ観念論に連なる形而上学の体系である。この形而上学の認識論的な枠組みは新カント派の構成主義であり、これに新カント派に不足すると田辺が見なす実在論を(T2:166)、当時の西洋哲学で言えばベルクソン的な─つまり田辺の意図は西田の─直観88西田は『善の研究』では純粋経験を多用したが、この語は『自覚に於ける直観と反省』以降は徐々に使われなくなり、代わりに直観の語が用いられるようになる。だが、直観が「主客の未だ分れない、知るものと知られるものと一つである、現実その儘な、不断進行の意識」(N2:15)と規定されるように、両者の〈主客未分の直接所与〉という位置づけは同じである。の立場から与えることが『科学概論』の形而上学の体系である。この田辺の試みは、西田が『自覚に於ける直観と反省』の序で示した同書の狙い、「フィヒテに新らしき意味を与うることに依って、現今のカント学派ベルクソンとを深き根柢から結合する」(N2:4)と一致する。つまり、田辺は同書こそ「現代の哲学問題」(T2:166)を探究する最先端と見なし、西田と同じ道を同じ方法(純粋経験・直観)によって進もうとしていたのである。

このような事情から、田辺は『科学概論』で「『自覚に於ける直観と反省』は日本に於ける独創的組織哲学の名著(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)」(T2:179)と評価する。だが、当の西田は同書では「幾多の紆余曲折の後、余は遂に何等の新らしい思想も解決も得なかった」(N2:11)と述べている。実際、同書の記述は相当に錯綜しており、西田が「悪戦苦闘のドッキュメント」(同上)と言わざるを得なかった理由が窺える。しかし、だからこそ(﹅﹅﹅﹅﹅)、田辺による〈西田哲学の論理的精密化〉という仕事に大きな意義がある。このように、田辺は西田との邂逅以後の自分の仕事を『自覚に於ける直観と反省』の論理的精密化による体系哲学の構築に見出していく。

では、そこまで田辺を魅了した、西田哲学にしかない思想とは何だったのだろうか。節を改め、1900年代の純粋経験論の流行の中での西田説の意義を見ていきたい。

三 1900年代の純粋経験論の流行における西田説の意義

紀平正美が1907年に「近時八ヶ間敷い(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)純粋経験説」(紀平1907:115)と述べたように、純粋経験論は『善の研究』(1911)以前の1900年代に日本で流行しており、西田と田辺はその流行の中で思索を進めていた。田辺について言えば、初作論考「措定判断に就て」(1910)はすでに純粋経験を議論の前提として扱っている。田辺がこの論考の冒頭で挙げる純粋経験の例は、快晴の日の青空に見入っている時のような主客未分の状態である。注目すべきは、このような主客未分の経験を「多くの学者は (﹅﹅﹅﹅﹅)之を純粋経験と名ける」(T1:3)と田辺が説明していることである。つまり、西田の純粋経験論が単に〈主客未分の純粋経験〉を語るだけのものならば、田辺が西田に追従するだけの理由がないのである。したがって、西田の純粋経験論には画期的意義があり、田辺がそれに魅了されたことが京都学派の哲学的発足点となるはずである。まずは、1900年代の純粋経験の流行を見ていきたい。

当時の純粋経験論と言えば、現代からはすぐにウィリアム・ジェイムズが連想されるが、『哲学雑誌』99現在も続く、東京(帝国)大学の哲学会の学会誌。1887年創刊。西田・田辺も最初はこの雑誌に投稿することでキャリア形成を進めた。なお、1887-92年は『哲学会雑誌』の名で発刊されている。に「純粋経験/純経験」の語が登場するのは1890年代が最初であり、これはスイスで活動した哲学者リヒャルト・アヴェナリウス(Richard Avenarius, 1843-1896)の主著『純粋経験批判』(Kritik der reinen Erfahrung, 1888/1890)に言及する文脈である。アヴェナリウスを1890年代に『哲学雑誌』で紹介したひとりに桑木厳翼(1874-1946)がいる。桑木は、アヴェナリウスを「知覚或は感覚を以て〔…〕最直接純粋なる経験(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)となす」(桑木1900: 471)哲学者として紹介している。また、西田と大学時代以来親交が深かった得能文(1866-1945)も1907年にジェイムズの純粋経験論を紹介する時に、「純粋経験と云えば直ぐに(﹅﹅﹅)アヴェナリウス(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)」や「ヴント(﹅﹅﹅)を思い出す(﹅﹅﹅﹅﹅)」(得能1927: 140)と述べている1010桑木と得能の文章は『哲学雑誌』の記事の単行本への再録から引用した。なお、原著と再録で文章に変更はない。。加えて、ヴントの『心理学概論』(Grundriss der Psychologie, 1896)を1898-99年に邦訳し、東京帝国大学で教鞭を執っていた元良勇次郎(1858-1912)も1906年から独自の「自全経験」という概念を通して純粋経験論を語っている。この元良の概念に対し、西田が初期の草稿の中で自身が考える直接経験に相当すると言及するだけでなく(N16:286)、田辺も主客未分の純粋経験を表すものとして言及しているため(T1:3)、当時の元良の影響力が窺える。

このように純粋経験論が林立する中で、これらより遅く登場した西田の純粋経験論の意義はどこにあったのだろうか。西田が『善の研究』固有の純粋経験論を初めて公にするのは、同書出版の4年前に『哲学雑誌』に掲載された「実在に就て」(1907)である1111「実在に就て」は『善の研究』第二編の原型であり、西田は第二編が同書の「骨子というべきもの」(N1:3)と言う。その点で、同書の中核はすでに1907年に世に問われていた。。この論考を読んだ紀平正美は、「氏の実在論は最もよくヘーゲル(﹅﹅﹅﹅)と近時八ヶ間敷い純粋経験説(﹅﹅﹅﹅﹅)」(紀平1907: 115)を調和させた点で優れていると言う。では、紀平が西田の純粋経験論の独自性として提示する〈ヘーゲルと純粋経験論の調和〉とは何だろうか。

「墨跡付き仏像カレンダー」の製造販売は2025年版をもって終了いたしました。
長らくご愛顧を賜りありがとうございました。(2025.10.1)
中外日報社Twitter 中外日報社Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加