「8月15日」を前に 戦争協力への反省と懺悔
京都府立大教授 川瀬貴也氏
人々は歴史上に残る大きな事件に関して「なぜこのようなことが起きたのか」ということを検証しつつ、できるだけその「教訓」を継承しようとするものだろう。だが、過去の戦争や植民地支配については、時間が経過し実際に関わった人々が少なくなっていくにつれ経験は風化し、それまでの反省と懺悔の「反動」として「それほど悪いことはしていない」「実は多少は良いこともしたのではないか」と知らず知らず自分を慰めてしまう、というのも残念ながらありがちなことだろう。
宗教に関して言えば、過去の帝国主義の時代、「軍隊と宗教者が手を携えて植民地に赴く」というのが19世紀以来の伝統であったのは否定しようのない事実であった。もう一つ言えば、あからさまな侵略や収奪と違って、どんな宗教でも「人々の幸福」を祈り「素晴らしい教え」をもたらした、という自意識が素直な反省を邪魔して来た、ということもあるかも知れない。
先日、浄土宗の有志らによる「浄土宗平和協会」が日中戦争、太平洋戦争時の戦争協力について3年がかりでまとめた『浄土宗「戦時資料」に関する報告書』を公表した、とのニュースを見た(本紙7月14日)。本報告書は、近代日本における浄土宗の戦争協力の歴史的事実を、『宗報』や浄土宗内で発行された当時の史料から検証したものとのことである。専門委員長の大谷栄一氏(佛教大教授)をはじめとする関係者各位に敬意を払いつつも、私の率直な「感慨」は「やはり戦後からこれほど時間がかかるものなのか」というものである。もちろん、敗戦直後から宗教者たちはさまざまな「戦争協力への懺悔」「戦争責任の表明」「平和運動」「不戦の誓い」を行ってきた実績はある。大谷氏編の『戦後日本の宗教者平和運動』(ナカニシヤ出版、2021)を一瞥するだけでもそのことは理解できるが、大きな宗派はどうしても宗内での意思統一に時間がかかり、個々人の活動は目立っても、宗派としての反省や懺悔を表明するのは戦後しばらく経ってから、という事例も多いと思う。浄土宗も08年にようやく法要「世界平和念仏別時会」で宗務総長が発表した「浄土宗平和アピール」で改めて内外に戦争協力の懺悔を示した、と聞く。
旧聞に属するが、曹洞宗が以前編集した『曹洞宗海外開教伝道史』(1980)という書籍が、植民地支配についての反省が見られず、過去を美化までしているとの理由で、絶版、回収になったこともあった(その顛末は曹洞宗人権擁護推進本部編『「曹洞宗海外開教伝道史」回収について』93を参照)。その時も「戦後数十年も経ちながら」という反省の弁が述べられていた。そういえば、大逆事件に連座して刑に処せられた僧侶に対する謝罪や反省も90年代に入ってからであったと記憶している。
もうすぐ、日本がその日を境に「生まれ変わった」とされる78回目の「8月15日」を迎える。「過ちては改むるに憚ること勿れ」という万古不易の言葉を拳々服膺する日でもある。そして我々は、反省や懺悔が遅きに失したとしても、それを継承する義務があるだろう。