PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
新規購読紹介キャンペーン
PR
2024宗教文化講座

日本近世美術と日蓮宗 ― 信徒から多くの芸術家輩出(1/2ページ)

京都美術工芸大学長 河野元昭氏

2015年10月2日
こうの・もとあき氏=1943年、東京都生まれ。専門は近世日本美術史。東京大名誉教授。秋田県立近代美術館長、美術専門誌『国華』主幹等を歴任。『鈴木其一―琳派を超えた異才』『琳派―響きあう美』など著書多数。秋田県立近代美術館ホームページのブログ「おしゃべり名誉館長」で美術の最新情報を発信中。

篤いキリスト教信仰者であった内村鑑三さえ、独創性と独立心を愛して止まなかった日蓮――その日蓮が編み出した法華宗、今の呼び方で言えば日蓮宗は、偶像や聖像に対して冷淡であった。日蓮は礼拝すべき最も重要な対象として、「南無妙法蓮華経」という七文字を中心とする文字曼荼羅本尊と、それのみの題目本尊を創出したのである。

日蓮は辛苦惨憺の末にみずから確立した法華経世界を表現し、礼拝の対象とするために、画像ではなく、文字だけの本尊を選択したのである。それは眼に心地よいポリクロームではなく、凛としたモノクロームの本尊であった。しかも本尊として一般的な3次元の彫像ではなく、2次元の掛幅であった。日蓮が独自に感得した法華経のシャングリラは、文字曼荼羅や題目本尊によって最も的確に視覚化されたのである。

もちろん日蓮も、彫像を否定したわけではなかった。それどころか、生涯にわたって釈迦立像を持念仏としていた。『大聖人御葬送日記』により確認されるとのことである。それを認めた上でなお、彫像や画像を絶対視しない思想が、日蓮には具わっていたように思われてならない。

イコノクラスムは、キリスト・マリア・聖人図像の礼拝を禁じ、これを破壊する運動で、8世紀以降ビザンティン帝国で起こった。したがって偶像破壊運動と訳されることが一般的だが、もしこれを広く偶像否定主義と考えるならば、日蓮にはイコノクラスム的志向があったというべきであろう。実証は難しく、日蓮宗寺院を訪ねたときの直感に過ぎないのだが、奈良の華厳宗や法相宗、あるいは京都の浄土宗や真言宗の寺院と比べ、安置される仏像の美術的価値において、やや及ばないところがあるというのが、偽らざる感想だからである。

この問題を考えるとき、最も直接的関係を有する「遺文」は、『観心本尊抄』であろう。しかしいくらこれを読んでみても、日蓮は本門の本尊、久遠実成の仏を語って、つまり形而上的な本尊を説いて、それを造形化した仏像についてはまったく触れていない。曼荼羅の構成については匂わすところがあるけれども、直接的ではない。もちろん、多くの経典が同様であるものの、日蓮の場合には特に指摘しておきたいと思う。

簡潔なる文字曼荼羅は、華やかな絵曼荼羅や宝塔絵曼荼羅へと展開していく。布教という使命を負った弟子たちが考え出した「方便」であり、文字通りの「譬喩」だったのだろう。文字曼荼羅や題目本尊を最高の本尊と見なして、彫像であれ画像であれ、イメージをその下位に置こうとする観念が明らかに働いている。そしてそれは、日蓮に端を発する思想であったにちがいない。

ところがここに不思議な現象がある。中世から近世にかけて、日本美術史上、重要な役割を果たした流派、すぐれた作品を遺した芸術家に、日蓮宗の信徒が多かったという事実である。まず挙げるべきは狩野派である。その始祖正信は日蓮宗の信者であった。墓は京都・妙覚寺にあり、『扶桑名画伝』には、その実成院過去帳が引かれている。本法寺開山日親、かの鍋冠り日親の像を描いたという『等伯画説』の一条も注目されよう。その後、狩野派は元信、松栄、永徳、光信と受け継がれ、時の支配者に寄り添うようにして発展したが、桑名で客死した光信を除いて、彼らの墓はすべて妙覚寺にある。徳川幕府の成立とともに、狩野派は探幽を中心として江戸へ本拠を移したため、これを江戸狩野と呼んでいるが、もちろん彼らも法華信徒であって、その墓は東京池上・本門寺にある。

狩野永徳と覇を競ったのが、長谷川派を興した長谷川等伯である。等伯は能登・七尾の畠山家家臣・奥村家に生を享けたが、染物業を営む長谷川家に養われたらしい。この長谷川家が日蓮宗であったらしく、等伯もその家庭環境のなかで、熱心な法華信徒となったと推定される。能登において日蓮宗関係の仕事に精を出した等伯は、30歳のころ京都に出ると、本法寺を本拠に大活躍を始める。本法寺関係の作品に限れば、「日尭上人像」や「大涅槃図」が名高く、先の『等伯画説』は日通上人による等伯の言説の記録、中国画論のコピーから離脱したわが国最初の画論として、何ものにも換えがたき価値を誇っている。

「浄土宗の中に聖道門と浄土門がある」 田代俊孝氏3月18日

浄土宗開宗850年をむかえて、「浄土宗」の意味を改めて考えてみたい。近時、本紙にも「宗」について興味深い論考が載せられている。 中世において、宗とは今日のような宗派や教団…

文化財の保護と活用 大原嘉豊氏3月8日

筆者は京都国立博物館で仏画を担当する研究員である。京博は、奇しくも日本の文化財保護行政の画期となった古社寺保存法制定の1897(明治30)年に開館している。廃仏毀釈で疲弊…

語り継がれるもうひとつの神武天皇陵 外池昇氏2月29日

神武天皇陵3カ所 江戸時代において神武天皇陵とされた地が3カ所あったことは、すでによく知られている。つまり、元禄の修陵で幕府によって神武天皇陵とされ文久の修陵でその管理を…

アカデミー賞2作品 核問題への深い洞察必要(4月17日付)

社説4月19日

人生の学び 大事なのは体験で得た知恵(4月12日付)

社説4月17日

震災犠牲者名の慰霊碑 一人一人の命見つめる(4月10日付)

社説4月12日
このエントリーをはてなブックマークに追加