増上寺三大蔵のユネスコ「世界の記憶」登録の意義と課題(1/2ページ)
浄土宗総合研究所研究員 柴田泰山氏
本年4月17日の午後8時過ぎ、浄土宗と大本山増上寺がパリのユネスコ本部に対して共同申請していた「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書」が、ユネスコ「世界の記憶」に国際登録されることが決定し、その第一報が伝わった。
この「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書」とは、東京都港区にある浄土宗大本山増上寺が所蔵する、
①中国、南宋時代(12世紀)に開版(版木が作成)された思渓版大蔵経5342帖
②中国、元時代(13世紀)に開版された普寧寺版大蔵経5228帖
③朝鮮、高麗時代(13世紀)に開版された高麗版大蔵経1357冊
という三種の木版印刷された大蔵経(5千巻を超える仏典の一大集成)のことである。
これら三種の大蔵経(三大蔵)は、17世紀初頭、徳川家康が日本に伝来していた大蔵経を全国から収集し、家康自ら増上寺に下賜した。この三種の大蔵経はそれぞれが各時代の印刷技術の粋を集めた一大仏教聖典叢書であり、各大蔵経そのものが文化的にも極めて貴重かつ稀有な存在である。増上寺三大蔵は漢字文化の結晶であり、仏教文化と仏教思想の原点であり、そして『大日本校訂大蔵経』、さらには『大正新脩大蔵経』の底本や校訂本としても使用され、現代でも全世界における仏教研究の基礎をなしている。
今般、増上寺三大蔵がユネスコ「世界の記憶」に国際登録されたことは、まさに今世紀の仏教の歴史におけるひとつの到達点であり、そしてここから新たなる時代がはじまることとなる。そこで本稿では増上寺三大蔵のユネスコ「世界の記憶」登録の意義と課題について、登録申請執筆者の立場から若干の私見を述べたい。
増上寺三大蔵をユネスコ「世界の記憶」国際登録するための申請は、今回が最初ではない。実は前回の「2022~23サイクル」にも挑戦していたが、前回申請は欧米文化圏に対して、大蔵経や増上寺三大蔵の存在意義、あるいは漢字文化そのものが伝わりにくいこともあってか、国際的な文化遺産としての重要性が分かりにくいという理由で、ユネスコ「世界の記憶」国際登録は見送られることとなった。
前回サイクルは残念な結果となったが、それでも全画像をデジタル公開した増上寺三大蔵がビッグ・データとなり、ここから世界の仏教と仏教学における新たなる未来が開けてくることは間違いない状況であった。そこで再度、書類を整えて、今回の「2024~25サイクル」に2度目の申請をすることとなった。
前回申請に対して、ユネスコ側から「三大蔵の影響は東アジア地域に特化されたものであり、国際的な意義に関する説明が弱い」という指摘などもあった。そこで前回が「増上寺が所蔵する三大蔵が東アジアにおける精神文化の支柱と印刷技術の結晶である」ということを強く打ち出したことに対して、今回は「増上寺三大蔵が『徳川の平和』の象徴的存在である」ということ、および「世界中からデジタル画像開示を切望されてきた増上寺三大蔵の全貌を2023年に公開したことで、仏教が伝える信仰・実践・儀礼の具体的な典拠や、東洋における哲学的思惟の源泉が世界に開かれることとなった」という点を主張する内容に大きく書き直した。
特に、①増上寺三大蔵はほぼ完本の三種類の大蔵経が統合的に管理保存されているものであり、この事例は世界に他になくただ増上寺のみであること、および②近代以降の仏教研究の基盤となった大蔵経であること、そして③全画像をデジタル公開し、現時点では世界で唯一、思渓版大蔵経・普寧寺版大蔵経・高麗版大蔵経の全貌を確認することができるサイトであることを強調した。
この内容で2024年1月に文科省を通じてパリのユネスコ本部に申請書類を提出し、さまざまな審査を経て、このたびの「世界の記憶」国際登録がかなうこととなった。