PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
2025宗教文化講座
PR
2025宗教文化講座 第22回「涙骨賞」を募集

目には見えない時間 “準備”が生の舞台に結晶(6月27日付)

2025年7月2日 09時18分

効率や決まり切った尺度によらずに物事を極め、またよく見るということについて、京都の能楽師・有松遼一氏の著書『舞台のかすみが晴れるころ』が示唆深い。表現する・演じるということと、それを観る・感じ取るということについて華道や他の芸との共通性も踏まえて書いた「目には見えないもの」という一節が大学入試問題に採用され注目されている。

有松氏は、花をありのまま「立てる」花士を名乗る華道家・珠寳氏の「花を生ける前にほとんどのことが終わっている」との弁を引いて、他の芸事でもその表現に至るまでのこと、つまり「表面に表れる時間だけでなく見えない水面下のはたらきも勘定に入れ」「さまざまな準備、訓練、心づくしに接」することの重要性を強調する。

この道理は人生全般に通じ、行為と成果の価値を時間や金銭の多寡で測ることの無意味さを示した上で、自らの能では、「舞台はなまもので、その場の気韻からさまざまな要因が出来して結晶になる」と述べ、そのような目に見えない“風”のようなものを感取し表現する術を教わるのが稽古であって、映像を見て型をまねて芸をつくるだけでは内実を伴わないとも話している。

見える部分というのは、分かりやすくもあり、誤りやすいのだ。そしてまた、その芸を観る側も、「本物」を味わって自分なりの豊かな感性を持つことが大事で、自らの目や舌に自信がないと、目前に観ている舞台そのものに対峙せず、蘊蓄や周縁の知識に寄りかかって楽屋落ちの裏話に終始しがちだという。音楽や美術などアートや料理の味についてもよく指摘されることだが、的を射ている。

これは宗教者の姿勢にも両面で当てはまるだろう。いのちを尊ぶ、人を支えるという教えは決して抽象的ではなく、現実の世の中の場=舞台でこそ実現されるべきものである。そのためには普段からの社会の諸課題への目配りという「稽古」が前提であり、それは型通りの基準による見方ではなく深いものであるべきだ。

そしてその日常の訓練の発露は、通り一遍のお話や身内にだけ通じる専門用語による論評ではなく、その教えが求める行為であり、「なまもの」たる舞台、つまり世間の個々の事象に即した個別一回性の行いとなるだろう。

極めて宗教的な「祈り」を例に取っても、平素から人々の苦難に無関心な宗教者が例えば災害現場でただ祈る姿だけを見せても、「一体、誰のためなのか」と、実際に被災者に寄り添う僧侶や牧師らからは疑問が投げられるのだ。

無言の“被爆伝承者” 惨禍物語る宗教施設遺構(8月6日付)8月8日

広島・長崎への原爆投下から80年を経て惨禍を実際に知る被爆者が減り、初めて10万人(被爆者健康手帳所持者数)を下回った。語り部活動は、2024年度で1560回に計10万2…

英仏の安楽死法案 人間の尊厳と宗教者の役割(8月1日付)8月6日

先般、フランス、イギリスの下院で相次いで安楽死法案が可決された。ここでいう安楽死は、医師が患者に致死薬を直接処方する積極的安楽死ではなく、患者が処方された致死薬を自ら摂取…

歴史が逆流していないか 憂い深まる戦後80年の夏(7月30日付)8月1日

10年前の「戦後70年」に論壇の一部で「戦後80年はあるのか」と問う言論活動があった。終戦までの軍国主義と、平和と民主主義を基軸とする「戦後」社会を隔てる断層が消えていく…

「平和宣言」を読み上げる広島市の松井市長

【戦後80年】広島原爆忌 悲惨な教訓無にするな 松井市長、世界の為政者へ警鐘

ニュース8月8日
諄詞を奏上し核兵器無き世界の実現を願う広島県宗教連盟理事長の野上光康・三篠神社宮司

【戦後80年】原爆供養塔で宗教者ら慰霊 核兵器廃絶願う 広島県宗教連盟

ニュース8月8日
対米英宣戦の詔書を発したことを伝える1941年12月10日付1面(マイクロフィルム)

【戦後80年】太平洋戦争をどう伝えたか 中外日報の戦時報道

ニュース8月8日
このエントリーをはてなブックマークに追加