無言の“被爆伝承者” 惨禍物語る宗教施設遺構(8月6日付)
広島・長崎への原爆投下から80年を経て惨禍を実際に知る被爆者が減り、初めて10万人(被爆者健康手帳所持者数)を下回った。語り部活動は、2024年度で1560回に計10万2千人余りが聴講したが、語り手も激減。代わって若者や次の世代が被爆者から聞いた話を伝える「被爆体験伝承者」が行政によって育成されており、原爆資料館などで活動している。
広島市のある老僧は、被爆体験を「伝えることが自分の使命」と国際的な取り組みも含めて様々な平和活動に携わってきたが、当時はまだ幼かったので自身の記憶が明確ではないという。一方で、原爆被害の実情を示す遺構、モノの保存も重要で、寺院に関係する例も数多くある。
「慈仙寺跡の墓石」は同市中心部、太田川中州の平和記念公園にある。爆心地から200㍍に位置した寺は壊滅し、境内の掃除をしていた住職や家族は全員死亡。大寺で学校の分教場だったため、通学していた学童十数人も犠牲になった。空き地に唯一残るのが五輪塔。旧広島藩士の立派な墓だったが、上部の「風・空」部分が爆風で台座から吹き飛ばされて離れた地面に転がっている。
向こうに原爆ドームを望むその場所だけが周囲から一段と低くなっているのは、かさ上げ造成された同公園内で、ここだけは被爆時の地面をそのまま残したから。長い年月を隔てたこの原爆忌を前に、説明書きなどで悲劇を知った人たちが通りがかりに炎天下で手を合わせる姿が見られた。
無言の“伝承者”は各所に点在する。やはり爆風と熱線の直撃を受けて破壊された寺院は、戦後に再建したが、当時をうかがうことのできる壊れた伽藍の一部を保存して公開している。焼けた石仏群、高熱で溶けた瓦やガラスも、それを見ることで非人間的な核兵器の威力の一端を知ることができる。
宗教施設の遺構は長崎でも各所にあり、何よりも浦上天主堂が有名だが、原爆投下を正当化する米国の意向で被爆遺構の保存が妨げられた。現在、資料室に焼けたマリア像や聖杯などの遺物が展示されているが、その存在が広く知られ、実際に訪れて目にしてもらうことが重要だ。
やはり被爆で焼失し苦労して現地に再興した広島の別の寺では、修学旅行生、平和学習の生徒や参拝者を、焼け残って生い茂る被爆樹木や損壊した地蔵像が迎える。それらに接することが「こんな恐ろしいことがあった。戦争は絶対にあってはならない」と住職の語りを聞くきっかけになっている。