最後の帰還兵
20年近く前、ある寺の梵鐘を鋳造する現場を取材した。鋳造工場に檀家らが集まり、赤々と溶けた金属を鋳型に流し込む職人の作業を見守っていた。聞けば、その寺にもかつて梵鐘はあった。太平洋戦争中、国の金属類回収令を受けて供出したまま、鐘のない月日が流れていったそうだ◆浄土真宗本願寺派の調査によると、宗門寺院の約9割が寺の梵鐘を供出したという(『宗報』2021年3月号)。また、供出した鐘が戦後になって戻ってきたとする回答も5%余りあった。終戦後の混乱を想像するに、数字以上に奇特な例と言えるだろう◆終戦から80年という歳月を考えると、これまた不可思議な縁と思わざるを得ない。本紙5月23日付で、供出した喚鐘が戻ってきたという記事を読んだ。滋賀県甲賀市の浄土宗誓光寺の喚鐘で、遠く離れた山口県内の一般家庭から知らせを受け、戦後80年という節目の年に帰還を果たしたのだという◆「『最後の帰還兵』としてお帰りいただいた」との同寺住職の感想に実感がこもる。冒頭の鋳造式の取材では、鋳込みに立ち合った高齢男性が「これで戦争が終わるのです」と涙ながらに語った姿が印象に残る◆今なお、全国には釣り鐘のない鐘楼が多くあることだろう。日常の中で鐘の音を耳にする機会はめっきり減ったものの、鐘の姿から平和に思いを巡らせる季節が今年も近づいている。(三輪万明)