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“世界の記憶”増上寺三大蔵と福田行誡(1/2ページ)

大正大大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC 近藤修正氏

2025年11月28日 14時04分
こんどう・のぶまさ氏=1996年、愛知県生まれ。慶応義塾大総合政策学部卒、同大大学院政策・メディア研究科および大正大大学院仏教学研究科修士課程修了。慶応大SFC研究所上席所員。専門は浄土宗学および近世・近代仏教思想。論文に「慧澄痴空の浄土教思想」「福田行誡の『選択集』理解とその系譜」など。
増上寺三大蔵と『縮刷大蔵経』

2025年4月、浄土宗大本山増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書(以下、増上寺三大蔵)がユネスコ「世界の記憶」に登録された。

三大蔵とは思渓版大蔵経(宋版、12世紀)、普寧寺版大蔵経(元版、13世紀)、高麗版大蔵経(高麗版、13世紀)の三つの時代・地域の大蔵経(仏教聖典叢書)を指し、いずれも17世紀初頭に徳川家康により増上寺に寄進されたものである。とりわけ家康寄進の三大蔵が、震災や戦災を乗り越えてほぼ完全な状態で現存している点は注目すべき史料的特徴と言える。

一方、この三大蔵の実際的価値を高めているのは、近代以降現在に至る仏教研究の基本文献とされている『大正新脩大蔵経』(『大正蔵』)の底本と校本にこの三大蔵が使用された点にある。これは『大正蔵』の基礎となる『大日本校訂大蔵経』(『縮刷大蔵経』『縮刷蔵』、1881~85)において増上寺三大蔵が底本(高麗版)・校本(宋版・元版)に使用されたことに端を発する。

『縮刷蔵』刊行の立役者には島田蕃根や色川誠一などが存在するが、特に『縮刷蔵』の底本と校本に三大蔵が使用された背景には、当時増上寺住職であった福田行誡(1809~88)の尽力が大きかった。行誡は『縮刷蔵』刊行のために設立された弘教書院の貫首となり校訂・出版の主宰・総轄として『縮刷蔵』刊行に大きな影響を与えた。

そこで本稿では『縮刷蔵』刊行ならびに三大蔵が使用された背景として、福田行誡の大蔵経への思いと『縮刷蔵』との関わりについて紹介する。

福田行誡と大蔵経出版への思いと挫折

福田行誡は近世から近代という激動の時代において、初代浄土宗管長・知恩院76世・増上寺70世として浄土宗の近代化を担った中心的人物である。そして近代日本仏教全体にも大きな影響を与え、その功績から「明治第一の高僧」「八宗の泰斗」「明治仏教界にただ一人行誡をみる」と謳われた。

その行誡の学問観の大きな特徴には宗派を超えて仏教を学ぶ諸宗兼学の重視がある。行誡は自分の宗旨の経文ばかりでなく大蔵経を重視し、その通読を僧侶の在るべき姿であると主張した。

自身の宗旨のみの経文の判釈ばかりを学び居りては、何宗に限らず凡て其の自分の宗旨の事までが実は本当に全く分かり兼ぬるものなり(教禅之関渉)

元祖法然上人は、大蔵経を五度まで通覧ありしことなれば、全体を云ふと、一度大蔵経を通読せざるものは坊主仲間には這入ぬほどのことなり。若き人達は、此大蔵経を生涯には一度読むと極める可し(学問の用心)

大蔵経通読を望む行誡は、大蔵経が広く読まれるための大蔵経出版に強い意欲を持っていた。

活字の蔵経成るに及んで、此を函箱に収め、此を高閣に安置するは、固より仏祖の意にあらず。或は読誦し、或は思惟観察し、供養流伝して、上求菩提下化衆生の勝方便に備ふるが為なり(閲蔵談)

そして1862(文久2)年に当時小石川伝通院の山内寺院である清浄心院住職であった行誡は、自身最初の大蔵経の刊行を試みることとなる。この大蔵経刊行事業は勝海舟も賛同して行われたものであった。結局資金の問題により大蔵経全ての刊行はできず『大般若経』のみを300部刷り上げたものの、この『大般若経』のほとんどが品川の沖合に投棄された。その理由は明確ではないが金銭的問題の他、幕末の動乱による政治的要因があったとされている。

この伝通院時代における大蔵経刊行の挫折について行誡は「時元治の末に及んで徳川家瓦解の運に当り、侯伯転換し士庶離散す。此に於て卒業すること能はず。是我が宿因未だ満足せざるの薄徳ここに及べるなり。但其、之を廃するは止むことを得ざるに出たれども、其兼懐に於ける未来際を尽して休止せざらんと欲す(雪窓答問)」と忸怩たる思いと同時に、未来における大蔵経刊行の願望も述べている。

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