山上被告裁判 政治家と教団の関係を問う(11月28日付)
2022年に安倍晋三・元首相を殺害した山上徹也被告の裁判が行われている。被告自身への尋問もさることながら、被告の母親や妹への尋問から改めて旧統一教会の信者からの収奪の異様さが露わになってきている。
02年頃、多額の献金をしていた母親が破産したときの状況について、妹は「クレジット会社から督促状や電話がきた。お年玉などをためていた私の通帳を母が管理していたが、残高がゼロになった」と述べた。また、成人したあとの話として「母が家賃をまとめて振り込んでほしいと言い、私の腕にしがみついてきた。お金を無心するときは鬼の形相で、母の皮をかぶった教会の信者だと思った」と話した。
このように献金が全てに勝ると信じさせ、娘が親の愛を疑い、「鬼の形相」と言わざるを得ないようなところに追い込んだのは、旧統一教会の教団組織である。そして、このような過酷な献金要求は信徒虐待というべきものだ。霊感商法を行っていた頃は市民からの収奪と欺瞞に満ちた活動への信徒の強制が問題とされたが、1990年代半ばから信徒からの収奪へと方向転換した。
信徒である母自身は、教団組織にどっぷりはまり込んで虐待されているという自覚はないだろうが、母と生計を共にしている家族はそのために、生活基盤を崩され、自分を責め苛むような事態に追い込まれる。こうして2015年に兄が自殺する。そのときのことについて、妹は「感情を表に出すことがない徹也が泣いていた。本当につらそうで『俺のせいだ』と言っていた。徹也は兄のそばから一晩、離れなかった」と語っている。
だが、これほどまでに人々を苦しめる教団がなぜ社会のとがめを受けることなく存続してきたのか。妹は以下のようにも述べている。「親類から電話がかかってきて、本当に驚いた。被害者が安倍元総理と聞いて特に疑問はなかった。安倍元総理が表紙に載った機関誌を見たことがあった」と。銃撃による殺害という被告の犯行は、許すべからざる行為である。厳正な法の裁きを受けなくてはならない。しかし、犯行に至る心の動きは想像はできる。
なぜこのような被害を生む教団が、長期にわたって信徒虐待とも言える、そうした活動を続けることができたのか。そこに政治家との連携、あるいは政治家による庇護という事態が関係していないか。このような問いの解明は、政治家や行政、司法関係者の協力を求める調査の遂行なくしては進まないだろう。



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