デジタルの拡散とフィジカルな場の価値 リスク社会におけるAIと宗教の対話
大阪大教授 稲場圭信氏
衆議院選挙の最中、生成AIを用いて作成された偽動画がインターネットおよびSNS上で拡散された。同質的な意見や価値観が強化されるエコーチェンバー現象によって、特定の思想が短時間で広範に浸透するメカニズムが成立している。選挙という公共性の高い場面において、現実の行動や判断に影響を与え得る深刻な問題状況を示している。
この現代的な現象を俯瞰する際、比較の枠組みとして宗教が浮かび上がる。宗教は古来、神観念、人間を超越した存在との関係性や生き方などを教えとして人々に伝え、共同体を通じて持続的に継承する伝達の器として機能してきた。生成AIとSNSによる思想伝播が急速かつ拡張的であるのに対し、宗教は長期的かつ信念体系の深化という点で対照的だが、「思想を人に伝える体系」という本質においては共通項を見出すことができる。
現代は、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックらが指摘した「リスク社会」であり、私たちは科学技術の恩恵と同時に新たな不確実性に直面している。コロナ禍において、宗教界もオンライン法要などのデジタル化を急速に進めた。移動性の高い社会においてインターネット上のつながりが新たなコミュニティとして市民権を得る一方、宗教的儀礼のデジタル化がどこまで人々の内面に浸透したかについては、依然として課題や議論が残されている。
生成AIの本質は、膨大なデータに基づき過去の蓄積から計算可能な最適解を導き出すことにある。しかし、人間の営みには、採算や効率を度外視したケアや祈りといった、情動と身体性に根ざした領域が存在し、ここはAIがまだよく踏み込めない領域である。
この差異は、災害時における避難所の事例において鮮明となる。AIはハザードマップに基づいた最短の避難経路を瞬時に提示することはできる。しかし、恐怖に震える被災者に、安らぎを与える物理的な空間を提供することはできない。東日本大震災の際、避難所となった体育館の冷たい板張りの床が被災者に身体的苦痛を強いたのに対し、寺社などの宗教施設に避難した人々からは「畳があって救われた」という声が相次いだ。鎮守の森や宗教施設が放つ静謐な安らぎや、畳の温もりといった身体性を伴う価値は、デジタルデータでは決して代替できないものである。
AIによる知能のアウトソーシングが進めば進むほど、逆説的に、身体を伴う儀礼や地域社会に根ざした寄り添いの価値が浮き彫りになる。血縁や地縁が希薄化した現代の無縁社会において、宗教施設は物理的な「場」としての公共性を発揮し、社会の分断を防ぐ防波堤となり得るからだ。
無論、宗教がデジタル技術を拒絶すべきというわけではない。重要なのは「説明責任」である。判断プロセスがブラックボックス化しやすいAIと同様に、現代の宗教もまた、どのような信念を持ち活動しているのかを社会に対して透明性を持って言語化する必要がある。
陰徳という美徳を超え、社会にとって善きものであることを伝え、信頼を構築していくプロセスが不可欠となっているのだ。







