歴史が逆流していないか 憂い深まる戦後80年の夏(7月30日付)
10年前の「戦後70年」に論壇の一部で「戦後80年はあるのか」と問う言論活動があった。終戦までの軍国主義と、平和と民主主義を基軸とする「戦後」社会を隔てる断層が消えていく、つまり戦前回帰を感じさせる時代の空気を懸念してのことである。集団的自衛権の行使を可能とし米軍の後方支援拡大などを柱とする安全保障関連法が成立した年だが、論題は軍事的側面ばかりではなかった。
論点の一つが戦争の総括だ。先の大戦で日本の戦没者は310万人、東北アジアなどの犠牲者は2千万人ともいう。戦時中「鬼畜米英」や「暴支膺懲」などと排外主義が燃え盛り、国民の戦意をあおった。戦後日本はそんな「負の歴史」を深く反省することなく経済成長に偏した道を歩んできた。
だが、歴史の教訓に背を向ける者は同じ過ちを繰り返す。10年前の言説を顧みて、当時の懸念が一層深刻化していることが参院選の結果にも表れたようだ。
一例に過ぎないが、日本は唯一の戦争被爆国なのに核兵器禁止条約への不参加に世論の関心が高いように見えない。それどころか先の参院選で核保有を主張した参政党候補が当選したのには驚いた。
歴史修正主義の高揚が示すように、日本は近隣諸国への侵略や戦争犯罪に真面目に向き合っていないといわれる。戦没者への補償も軍人・軍属優先で空襲の被災者は切り捨てられ、外国籍の戦没者も国籍条項で外される。要するに排除の論理が働きやすい国民性なのだろう。沖縄への偏見も、その文脈で考えればわかりやすい。
「ひめゆり学徒隊」の最期は、大戦末期の酸鼻を極めた沖縄戦の悲劇を象徴する。自決のための手榴弾や青酸カリを持たされ、弾雨の中、ガマ(自然壕)を移動しながら傷病兵の手当てに命を捧げた。奇跡的に生き延びた学徒らの『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』は読み進めるのがつらい。
ひめゆりの塔にある「ひめゆり学徒隊」の説明について「歴史の書き換え」などと、沖縄への悪意に満ちた発言をした自民党参院議員が参院選で再選された。一部発言は撤回したが、本土の有権者には沖縄の痛みは視野の外なのだろうか。
今回の参院選は教育勅語の尊重など復古的な憲法案を掲げ「日本人ファースト」を訴えた参政党が躍進した。選挙に表れた排外主義は一過性ではなさそうで、改めて戦争の総括が求められる。そのためにはまず、戦争犠牲者の声に耳を澄まさねばなるまい。それが死者に対する何よりの供養にもなろう。