京都学派における天皇論の系譜
―転換期の克服と『媒介者』としての天皇―
(二)「絶対的一者の自己表現」としての天皇
昭和15(1940)年、日中戦争開始から3年、日米開戦の前年という時代に、『日本文化の問題』において、西田は次のように具体的に皇室の役割について論じている。
我国の歴史に於ては、如何なる時代に於ても、社会の背後に皇室があつた。[・・・・・・]故に我国に於ては復古と云ふことは、いつも維新と云ふことであつた。過去に還ることは単に過去に還ることではなく、永遠の今の自己限定として一歩前へ歩み出すことであつた。(N12・336)
そして、西田は「皇室に返る」ことで社会の閉塞状況が解決されるとして、以下のように続けている。
社会形態が行き詰まる時、[・・・・・・]支那ではかゝる場合が易姓革命となつた。我国ではそれがいつも皇室に返ると云ふことであつた、復古と云ふことであつた。(N12・336-337)
ここで、我々が着目しなければならないのは、時代の担い手を演じた主体的なものが形成する社会が行き詰まったとき、つまり、時代の転換期において、中国では「易姓革命」がなされたのに対して、日本では「いつも皇室に返る」(同)ということで解決がなされてきたと書かれていることである。「易姓革命」とは、君主の徳が衰えた場合、徳のあるものが君主を倒し、新しい王朝を建てることである。
これに対して、西田は、日本では天皇という、現実の支配関係の背後にある、あるいは「主体の主体」として、現実の支配関係を超越した次元の存在を有しているという特殊性ゆえに、権力者の交代によって状況を打破しようとする中国とは異なり、天皇に立ち返ることで危機的状況の克服がなされてきたと考えている。そして、これは昔の制度に「返る」ということではなく、「新なる世界へ歩み出す」(同)ということを意味するとされている。
これは、昭和19(1944)年「哲学論文集第四補遺」では、「いつも自己自身の根源に返ると云ふこと」(N12・402)、さらには、「維新即復古、復古即維新」(N12・418)と言いかえられている。つまり、西田にとって、転換期とは、否定を媒介として「自己自身の根源に返る」ものとして意義があるとされるのである。
では、西田にとって「自己自身の根源に返る」ということの意義とはなにか。もちろん、これは、天皇統治の世界に返るということではない。西田の思考の中心に位置するのは、このような表現が許されるとするならば、<光源(=存在の根拠であり、かつそれを規定するもの)>としての「絶対現在」の世界である。西田によれば、天皇もその照射を受け、かつそれを主体的に表現しようとする一つの表現形態にしかすぎない。言いかえれば、絶対的一者の自己表現点の一つとして天皇はある。ここにあるのは、<「絶対現在の世界」―「天皇」>というヒエラルキーの構図だ。
そして、西田はここで以下のように述べている。道徳的となると云ふことは、人間がその歴史的根源に返ることである。(N12・408)
ところが、西田にとって道徳とは、単なる形式的当為ではない。我々が絶対現在の自己表現の世界を表現しようと具体的実践をなすことで、はじめてその内容が明らかとなるものとしてある。ここで述べられている道徳とは、自己の経験では語ることのできない無限なものからの要求である。
ここからも導き出されるように、西田は、― 絶対現在の世界を表現すること ―ここに道徳の根拠があるとする。ここにあるのは、社会―個人という関係ではなく、神―人の構図からもたらされる道徳である。そして、このような超越論的他者からの道徳は既存の道徳とされているものの相対化をも意味することになる。
上記の論理にしたがって、西田は、国家は絶対現在を表現する歴史的身体(=単位)であり、これを表現するかぎり、国家であり道徳的であると考える。人においては「個」が、民族においては「国家」が歴史的身体として、絶対現在の自己表現を表現する。その中でも、特に家族的国家に限定すれば、それは構造として帰一すべき中心をもっているが、その中心となり絶対現在を映し出すのは「皇室」であると西田は考えているのだ。
この観点から、西田は、絶対現在を映し出す「皇室」が存続してきたという事実―、ここに、我が国の国家の性質が道徳的であることを内奥に持つ ものであるということの証左を求めようとする。万世一系の皇室とは、我が国が、「絶対現在を映すものとして存在してきたこと」によって形成された「形」であり「絶対的事実」であると西田は考える。
このような「絶対的事実」が、歴史の上に存在し、存在し続けてきたことの果たす役割、意味を西田は次のように説明する。
我が国においては、転換期における社会の混迷は他国との闘争ではなく、通常、無意識下に置かれている皇室の存在を意識の上に浮かび上がらせることで克服されてきた。ここで、皇室の存在を意識化するということは、国家とは絶対現在が自己を実現する「自己実現の焦点」(12・400)であるということを再認識することである。
これが、西田のいう転換期における原点回帰、すなわち道徳的自己浄化としての「維新即復古、復古即維新」である。したがって、西田にとって、「血統」としての万世一系ではなく、「絶対現在を実現する焦点」として皇室が「存在し続けたこと」に意味があるのだ。
上記の論理からすると、西田は天皇絶対主義を述べているとは考えられない。なぜなら、ここで天皇は、転換期における社会状況の打破を目的とした権威の象徴であって、社会を支配する権力者としては描かれてはいないからである。西田は、転換期においては「皇室に返る」ことが、不可逆的に歴史を転換させる時代の危機の克服の方法であるとしているのであり、そうした意味での皇室の存在の、いわば有用性を提示しているのだ。