京都学派における天皇論の系譜
―転換期の克服と『媒介者』としての天皇―
(二)「媒介こそが天皇の原理」―田辺元の場合
これまで述べてきたような西田や高山の考え方は、田辺元にもみられる。戦前の田辺は天皇を理念の体現者としてとらえていた。田辺は、「国家の統制」(T8・160)2828田辺元『田辺元全集』筑摩書房、昭和38(1963)年―昭和39(1964)年、筑摩書房。ここからの引用は(T巻数・頁数)を文中に埋め込む。(凡例)ここにおける(T8・190)とは田辺元全集、第8巻の190頁のことである。と「個人の自発性」(同)という、包んでいくことがどうしても出来ない二律背反を直接的に「結合統一」(同)しているのが、「我が国家の誇るべき特色」(同)であるが、その「国家の理念」(同)を体現しているのが天皇であるとしている。つまり、対立しているものの統一を体現しているのが天皇であるとし、このような体現者として天皇の存在を「現人神として神」(T8・299)とする。ここでの現人神とは、田辺によれば「統一の理想を体現している」ものである。
ここからも明らかとなるように、田辺が、昭和15(1940)年の「歴史的現実」で主張しているのは、「調和」である。この調和とは、対立するものが一つの矛盾を形成することで、生きた全体となることであると田辺はとらえる。田辺にとっての悪とは、調和的、統一的な世界の統一が破れることであり、善とは、善と悪との調和である。田辺は対立するものは、対立しながら互いにそれぞれの立場で両立し調和してそれぞれ自己を維持しているので、一方を滅すれば、他方も自滅するというパラドキシカルなものであるという。したがって、田辺のいう調和とは、対立するものそれぞれが両立し調和する動的均衡状態をさしている。これは、戦後、田辺が「民主主義的君主政治」(T8・374)を提唱していることにもそれがよくあらわれている。
このように、田辺は、そこで一定の調和点を持ち、正しく調和をなす民族が自己を維持するとみる。ここでの天皇は、対立を統一へと高める原理を最もよく体現しているものとして設定されている。天皇は、その調和を体現している表現者であり、国民がそれを翼賛することでその調和が実現されるという論理になっている。
このように、田辺によれば、歴史の転換期においてなされる復古即革新での復古と革新の結びつきというパラドックスは、天皇の存在を翼賛する ことによって可能となる。これを別の箇所で田辺は、「無が両者を結びつける」(T8・139)「無が有を成り立たしめる」(同)とあるので、天皇は無の体現者であるということになる。
これに対して、敗戦後の田辺は、天皇を、「理念」の体現者としての神 としての存在から、「絶対無の媒介としての有たる存在」(T8・375)を体現する理想的存在者 へと転換し、天皇の戦争責任を問うようになる。
田辺は天皇を「絶対無の象徴」(T8・372)「無の象徴」(T8・374)「象徴としての天皇の存在」(T8・375)とする。それは「矛盾的に対立するものを統一することが出来るのは無」(T8・370)だからだという。
実に絶対無は象徴としての天皇の存在を媒介とし、而してまた天皇の存在は絶対無を媒介とせられるのである。此媒介こそ天皇の御自覚の原理でなければならぬ。(T8・375)
ここにあるように、「媒介こそが天皇の原理」であるのだ。そして、田辺は天皇の象徴的存在こそ「絶対否定的に統一する原理」(T8・370)「超越的統一の原理」(T8・374)であるという。
だが、ここで媒介され、統一される「対立」は、状況に応じて変化する。戦前の西田が問題にしたのは、個人主義と全体主義が相対立しているというイデオロギー対立であるのに対して、戦後の田辺は「相対立する政党の上に立ち之を媒介統一」(T8・373)、「絶対無の象徴として政党対立を統一」(同)、「議会の統一点」(T8・369)とあるように、議会における政党の対立を問題にしている。
しかし、いずれにせよ田辺も西田と同様に、天皇を無に基づいて対立物を統一する原理としている。西田と田辺の相違は、西田が、直観的に把握される無媒介な無が自己限定して統一を形成するとしているのに対して、田辺の場合は、無とは直観的に把握される無媒介なものではなく、「天皇」の媒介の下、「行」(実践)によって、「相対的有の転換的絡み合ひ」(T8・373)によって現れるもの(例えば、不断に更改される最高諮問機関)とされているところにある。この諮問機関は、「民主主義」と「天皇」との「弁証法的動的均衡」(T8・374)を保ち媒介するものとされる。
さらに、田辺は君主には君主の「無的統一原理たる自覚」(同)が必要であり、自覚なき天皇は天皇ではないとする。この自覚がなく「君主が自ら直接に意志し行動する無媒介なる存在として有化」(同)することは専制政治よりも憂慮すべきことであると述べている。田辺も天皇を「対立するものの統一原理」であり、かつ「決して直接に自己の御意志を主張せられるべきではない」(T8・373)存在と考えてはいるが、しかし「無」としての自覚によって天皇は天皇たり得ることを強調しているのである。ここで言われている「無」としての自覚とは対立するものの媒介者としての自覚である。
合田正人はこうした田辺の天皇論について、「田辺にとって天皇はある意味では『一般意志』の『象徴』だったのだ」2929合田正人『田辺元とハイデガー――封印された哲学』PHP新書(884)、平成25(2013)年、206頁。のであり、「あくまで『一般意志』が最重要であって、『天皇』はそれを体現しているだけなのだ」(同)と述べている。だが、「一般意志」というより、それは、媒介者として把握されている「絶対無」であり、天皇はその表現者として位置づけられているのだ。