京都学派における天皇論の系譜
―転換期の克服と『媒介者』としての天皇―
以上が、絶対無の説明であるが、ここで我々が着目すべきことは、西田は図式的説明において、Eを個物Einzelnes、Aを一般Allgemeines、Mを媒介者Mediumとし、対立する個物Eと一般者Aが、「媒介者M」によって結び合うという図式を描き出していることだ88西田幾多郎 エッセンシャル・ニシダ 即の巻『西田幾多郎キーワード論集』書肆心水、平成19(2007)年、238頁。「序」『哲学の根本問題 続編』岩波全書(33)、昭和23(1948)年。。そして、この「媒介者M」における媒介の特徴は、「各自が独立であると共に一である」(N7・307)という形で統一をおこなうことであり、そこでは絶対無は「何処までも互に相独立すると考へられる個物と個物との媒介者M」(N7・309)となる。
以上から考えたとき、西田の述べる転換期において「皇室に返る」とは具体的にはどういうことなのかが明らかとなるといえるのだ。この点については、西田は1941(昭和16)年1月23日に行われた昭和天皇への御進講において次のように述べている。
今日の社会では、個人主義と全体主義というイデオロギーが対立していると考えられるが、両者ともに社会形成には不可欠なものとしてある。日本では、個人主義と全体主義が対立するのでもなく、両者が相互に限定しあうことで均衡状態を保ってきたが、その中心にあったのが皇室であった。どちらかに傾こうとすれば、「肇国ノ精神ニ復帰」(N7・271)することで揺れ戻しを行い、皇室を中心として新たなる時代に踏み出してきた。そのようにして日本は、「時ヲ越エタ永遠ナルモノヲ内容」(N12・269)として発展してきた。歴史の世界は、「過去未来ヲ含ンダ現在ヲ中心トシテ」(N12・271)動いていくものであるが、日本では、そうした永遠の現在は皇室に象徴されてきたのである。すなわち、皇室は「過去未来ヲ含ンダ現在ノ意義」(同)を持っているといえる。そして、歴史の危機において、皇室によって「肇国の精神」に還ることは、推古に復帰するのではなく、新たなる時代を創造することでもあった。
以上が、西田による御進講の要約であるが、ここで西田は、対立する理論の対立、分裂を回避し均衡状態に導く、いわば「統一力としての役割」を天皇に求めている。ここで我々が留意すべきことは、天皇による統一は、個人主義と全体主義のどちらかの選択による統一ではなく、二つの反するものを均衡状態にすることで「各自が独立であると共に一である」(N7・307)ということを実現することであると考えられる。
さらに、ここにみられるように、西田は歴史を合目的的因果関係とか機械的因果関係によってではなく、「時ヲ越エタ永遠ナルモノ」との関係においてとらえようとしており、その象徴が天皇であると考えているのである。
また、西田は、矛盾的自己同一の形態が一に定まるということは、一つの重心をもつことであるとしているが、それは西田が動的均衡状態を歴史的世界の真のありかたであるとしていることを意味している。ここでいっている、天皇によって形成される「揺れ戻し」とは、静態的均衡状態ではなく、「中空均衡状態」99河合隼雄はこれを「中心統合構造」に対する「中空均衡構造」としている。河合隼雄、河合俊雄編『神話と日本人の心』〈物語と日本人の心〉コレクションⅢ、岩波現代文庫(346)、岩波書店、平成28(2016)年、331頁。ともいえる動的均衡状態のことである。つまり、西田において「皇室に返る」とは、絶えず変化する諸力を統一し、変化を前提とするがゆえにあくまで動的なものである均衡状態を実現しようとすることを意味していると考えられる。
こうした「中空均衡状態」については河合隼雄の議論が参考になる。河合は、対立的な二項の間をつないで、微妙な均衡を生み出す、第三項の存在について述べている。これは「中心にある力や原理」1010同前、329頁。によって統合されているのではなく、むしろ「中心が空であること」によって全体の均衡、統一性が生み出されているということを意味している。
このような均衡と調和の論は、『古事記』や『日本書紀』にみられるような、「中心はまったく無為であるが、神々が全体として均衡を保つ構造」1111同前、336頁。という日本における神話的思考原理でもあるが、それは現代人の心の内部にも生き続けているという。この書の解説で中沢新一も、「対立し合う二元論の二項の背後に、その二者を包含するような形で、見えない『無』の第三項がある」1212中沢新一「解説――日本神話に見る三元論的思考」注(9)参照、367頁。と指摘しているが、ここで言われている「『無』の第三項」とは、西田の述べる「絶対無」と置き換えることが可能である。
以上から考えると、西田は、二元論の背後にあり、対立するものを媒介し統一する「『無』の第三項」としての役割を具体的には天皇に求めていったと考えられる。事実、西田は、皇室を「宗家と云ふ以上に、次元を異にしたものがなければならない」(N12・418)というように、相対的対立を超えた超越的な位置にあるものとみている。さらに、それは相対有の統一の役割を与えられながらも、ノエシスのノエシスとしてノエマ的には無なるものであり、政治的権力としては、中心にありながらも「空虚な空」「全くの無為」とされているのである。
ここから明らかとなることは、西田は、二者択一の論理のどちらかを選択し、それに従うということを懐疑的にとらえ、対立する論理の均衡でしか現実世界(事実)の安定は作り上げられないとみていることだ。これは、普遍主義をかかげ軍事力による覇権を求めることの陥穽を糾弾するものであるが、同時に日米開戦間近にある日本に対して新しいベクトルを指し示すことでもあった。これが指し示しているものは、普遍主義による抽象的平和ではなく、軍事力による覇権を求めることから後退し、対立を動的なもの、現実を構成する不可欠な要素として受け入れ、そこから新しい調和状態を作り上げることからもたらされる動的均衡としての平和だ。なぜなら、根源的実在のありかたは、対立するものの均衡状態としてあると西田は考えるからだ。
そして、そこでの媒介者としての天皇の有用性は、「空虚な空」「全くの無為」であればあるほどその意義は高まることになる。