京都学派における天皇論の系譜
―転換期の克服と『媒介者』としての天皇―
(三)「転換期」における天皇の有用性
では、ここで書かれている皇室の有用性とは何か。それは、西田が、転換期を文化、政治、経済、倫理、イデオロギーなどの分裂状態としてとらえ、天皇をそれらの「統一力」と位置づけることで、天皇を危機克服の手段として用いようとしているということである。言いかえると、それは当時西田が使っていた「媒介者M」に天皇を位置づけることであると思われる。西田のいう「媒介者M」とは絶対無を背景としたその表現形態のことを指す。
では、ここで、前述した「光源」と表現したものー、西田の思想の根幹にありかつそれを支えている絶対無とは何かについて考えてみたい。
西田は、絶対無を、「それ自身によつて有り、それ自身によつて働く」(N11・31)究極的な存在の根拠として考えている。だが、西田によれば、我々の現実世界は背後に基体的なもの、実体的なものを考えることはできない(N10・369)。したがって、世界全体を包み、かつすべてを自己の限定として成立させる、唯一の絶対的全体としての「絶対的一者」(N10・475)も、対象的に見た場合、絶対無と呼ばざるをえない。また、絶対無自体も対象的であることを超える超存在として、対象的な存在であることを拒否するものである。それゆえ絶対無とされる。
ところが、これに矛盾するように、西田は「有即無」「絶対の無は絶対の有といふと同一である」(N8・431)と述べている。つまり、西田は、パラドキシカルに「絶対無」は「絶対有」であるというのだ。このことの意味は何だろうか。
絶対無とは、経験的対象としても、知の対象としても、決して我々に現れてこない、あらゆる思惟を越えた、超存在という意義では「絶対の無」である。だが、単なる無ではなく、存在の底にあり、働いている、暗黒な根拠として、潜在的な創造的エネルギーであり、「無にして有を限定する」(N5・423)という意義では、「絶対の有」である(N8・430)。
ここで我々が着目すべきことは、「有即無」とされるように、絶対無は矛盾を含むものなので、自己否定に陥らざるをえないということである。また、それ自身において動く実在界として絶対無は、他を介せず、自己自身において自己否定を含み、その否定を介して働くものでなければならない。西田は弁証法的運動について、自己自身に否定を含んだものを主体と考える(N7・42)。それゆえ、西田によれば、絶対無を弁証法的主体として、否定即肯定、肯定即否定の相互限定の動的な世界、弁証法的運動が作り上げられることになる。西田は、「絶対に相反するものの自己同一」という立場において弁証法的限定が成立し、ここから、「無限なる弁証法的運動」(N7・47)が生み出されるとする。
以上から考えると、西田の「絶対無」には元来二つの特徴があったといえる。一つは、絶対無は思惟以上のものとして、無実体的なものであるにもかかわらず、我々に内在するとともに、我々を「包む」、無限大の内包であるということである。もう一つは、「絶対無」は自己を否定することによって自己を顕わにし、弁証法的な過程を「媒介する」ものであるということである。
このように、世界全体を「包む」ものであるとともに、弁証法的過程を「媒介する」ものとしてとらえられていた「絶対無」について、西田は昭和9(1934)年の『哲学の根本問題』以降においては「媒介者M」という概念を用いることで、「絶対に相反するものの統一といふ如きものでなければならない」(N7・37)として媒介の働きを中心とみるようになる。
そして、この統一力を、西田は「無の有」(N12・336)としての天皇に求めることになるのだ。