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第21回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

京都学派における天皇論の系譜

―転換期の克服と『媒介者』としての天皇―

岩井洋子氏
(三)尾高朝雄のノモス主権論―二契機の間の調和の確立―

次に、法哲学者ではあるが、西田の弟子である尾高朝雄の天皇論をみてみたい。

尾高も、西田や田辺と同様に、天皇を二つの対立するものの媒介者としてとらえる考え方を述べている。ただし、尾高は、絶対無を「ノモス」と置き換えることによって、西田や田辺が述べる論理を法論上において展開している。尾高は、君主主権と国民主権など、両立しえない相矛盾する概念の上に、それらを超えた「ノモス」の権威を置き、それらを統一しようとするのが、「ノモス」の体現者である天皇であるとしている。

そうした考え方を基に、尾高は「天皇主権」と「ノモス主権」とを結びつけている。尾高は、天皇とは「ノモス」を具象の形、具象的な主体に結びつけたものであり、「天皇主権」は「『ノモスの主権』の民族的な把握の仕方」3030尾高朝雄『国民主権と天皇制』講談社学術文庫(2557)、令和元(2019)年、142頁。初出は、尾高朝雄『国民主権と天皇制』国立書院、昭和22(1947)年。であったと述べている。そこから、尾高は「万世一系の天皇の統治」である「天皇主権」は次のように解釈し直さなければならないとする。

なぜならば、それはもはや、天皇が現実の政治の上で常に最高の決定権をもつていたということでもなく、そういう政治の形態が永遠につづくべきものと考えられていたということでもなく、現実の政治はすべて「常に正しい天皇の大御心」に適(かな)うものでなければならない、という 理念の表現 (﹅﹅﹅﹅﹅) に外ならないからである3131同前、 141頁。傍点筆者。

このように、尾高は「天皇主権」を、「『常に正しい政治の理念』を政治の最高原理」3232同前、154頁。としたものとみる。尾高は、政治には「正しさの規準」3333同前、151頁。がなければならないが、「日本国民は、正しい政治の規準を、永い伝統によつて権威づけられた天皇の統治に求めた」(同)のであり、「日本の伝統によれば、天皇は『常に正しい統治の理念』を具象化して来られた」3434同前、184頁。とする。さらに、尾高は、日本国民は天皇統治の中に「ノモスの実現を待望して来た」3535同前、226頁、初出は、尾高朝雄「事実としての主権と当為としての主権」『国家学会雑誌』64(4)、昭和25(1950)年。とも述べている。

では、尾高のいう「ノモス」とはどのようなものなのであろうか。「ノモス」とは、尾高によれば、対立するものが「二者択一の関係に置かれているとき、さらにそれら両者の上に、両者ともどもにそれにしたがうべき」3636同前、227頁。ものとして置かれる「非人格的な理念」(同)であり、それによって正しい政治の筋道を示すものである。そして、その具体的内容について尾高は以下のように説明している。

国民の福祉とか、人間平等の理念とか、正義と秩序との調和とかいうようなノモス(﹅﹅﹅) 根本原理(﹅﹅﹅﹅) にかなつたものでなければならない3737同前、203頁。初出は「ノモスの主権について」『国家学会雑誌』62(11)719,昭和23(1948)年。

ここで、「国民の福祉」「人類平等の理念」に続けて、「正義と秩序との調和」について書かれているが、尾高は『法の窮極に在るもの』の中で、「調和」について以下のように述べている。

個人主義と団体主義と文化主義の調和、普遍主義と特殊主義の調和、――進歩性と安定性の調和、まことに、プラトンの説いたように、「調和」こそ政治の高き矩であり、「法の窮極に在るもの」であるといわなければならない3838尾高朝雄『法の窮極に在るもの[新版]』有斐閣、昭和30(1955)年、225頁。初出は、『法の窮極に在るもの』(「法学選書」第一篇)、有斐閣、昭和21(1946)年。

尾高は、さらに「中正・調和の道を示すものは『政治の矩』である」3939同前、209頁。と述べている。こうした理念は、『国家構造論』では、以下のように述べられることになる。

個人と普遍態とが先づそれ自身として、しかも同時に互に他のために存在すること、及び、人類の任務が、特殊者及び、普遍者と云ふ、互に補足し合ふところの二契機の間の調和の確立に存すること。4040尾高朝雄『国家構造論』(京城帝国大学法学会叢刊:第3)岩波書店、昭和11(1936)年、420頁。

ここで書かれていることは、西田がいうところの「個物的多と全体的一との矛盾的自己同一」(N12・323)「絶対矛盾的自己同一の世界」(同)とその意図においてつながるものではなかろうか。西田の「媒介者M」と同じように、尾高にとっても「ノモス」は「二契機の間の調和」をめざすものであり、その具体的役割を果たすのが天皇なのである。

しかも、尾高にとって「ノモス」との一致は決して固定的なものではない。尾高は「ノモス主権」とは、法を決定する人々の「心構え」であり、「ノモス」が権力の上にあるのは、「ノモス」の理念にしたがう政治にするために、「不断に正しい法を作るための努力をつづける義務がある」4141尾高朝雄、前掲書、令和元(2019)年、67頁。という意味であるとしている。すなわち、「政治は国家の動態原理である」4242尾高朝雄、前掲書、昭和11(1936)年、532頁。とあるように、そこでの「調和」とは、絶えず形成されつつある動的な均衡状態をさしているのだ。

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