京都学派における天皇論の系譜
―転換期の克服と『媒介者』としての天皇―
おわりに
これまで考察してきたように、西田、高山、田辺ら京都学派の天皇論に共通するのは、天皇はそれ自体で価値があるのではなく、「絶対無」「ノモス」など、理念の象徴であることによって政治的価値が生まれるということである。そして、それは、感性知覚の対象とはならない無形の理念の象徴として、目に見える形を有する、つまり、有形としての天皇が用いられたということを意味する。
以上から考察すると、彼らの天皇論においては、「矛盾的自己同一」(西田幾多郎)、「統一的紐帯を形成する力」(高山岩男)、「媒介こそが天皇の原理」(田辺元)、「二契機の間の調和の確立」(尾高朝雄)とあるように、天皇は政治的分野においては、転換期における相対的対立を統一するための「媒介者」としてとらえられ、また、その役割を担う存在として位置づけられていたと考えられる。そして、これは絶対無が、媒介者として解釈されるようになってきたことと歩調を同じくする。
ところが、前述したように、絶対無は単なる無ではなく、存在の底にあり、働いている、暗黒な根拠として、潜在的な創造的エネルギーであり、「無にして有を限定する」(5・423)という意義では、「絶対の有」である(8・430)。このような「絶対の有」を、天皇、あるいは天皇が表現するものととらえるかぎり、彼らの論は、限界を持つものといわざるをえない。なぜなら、彼らの天皇論は天皇制を有用性という相対的な領域でとらえる外観を呈しながら、その実、絶対化するというグロテスクな帰結を導出する虞があるからだ。
彼らの主張する動的均衡状態を形成するものとしての媒介者は、超越的絶対者の担うものでも、また、それに仮託された有的存在が担うものでもない。なぜなら、有即無という矛盾的存在は、それ自体有であることを拒否する存在であるのだから。
ただ、京都学派が提示した、転換期の克服を目的としたー動的均衡状態の再構築論―、ここにおける動的均衡状態をたえず作り上げて行くという考えは、現代社会に共約不可能な解きがたい難問としてある宗教対立、イデオロギー対立などに対して一つの解決策を提示するものとしてあるのではないか。ここに示されているものは、たえず形成されつつある動的な均衡状態において、異なるものが独自性を損なうことなく、そのままで調和として統一されるというあり方だ。このように、京都学派の天皇論において展開されたのは、天皇絶対主義への回帰ではなく、「対立の融和」という視点を基軸としながらも、単に帝国主義の克服にとどまらず、転換期における諸課題の克服の論である。そして、そこにこ
そ彼らの論の意義がある。我々は、なぜ天皇、あるいは天皇ということばで語られる概念を求め続けてきたのか。
この深層にあるものは、無意識下にある母性的ともいえる統一の原理とはいえないか。これは同一律、矛盾律、排中律の三原則からなるロゴスの論理とは全く異なるものである。
京都学派は時代の転換期においてそれをすくい上げ、時代の解決策のもう一つのあり方として我々に提示したのではなかろうか。