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人文学の死、震災と学問 ― 人文学とは何か本質的議論を(2/2ページ)

国際日本文化研究センター教授 磯前順一氏

2015年10月23日
不正の感覚が欠如

さらに問題が根深いのは、こうした沈黙を意図する当事者、あるいはそれに従う黙認者たちには不正の感覚が著しく欠如していることである。たしかに、無意識裡には自分たちが不正に関与していることに疚しさは感じている。だからこそ、意識の上では何も起きていなかったかのように、自分自身の不安さえ否認してしまう。多くの場合、自分は無力だから生き延びるためには仕方ないと諦念する。そこに陳腐で感傷的な「凡庸なる悪」(ハンナ・アレント)が生まれる契機が潜んでいる。

理研の騒動から想像がつくように、どこまでが自分の執筆で、どこからが他人の筆が入ったものなのかが判別のつかない博士論文も稀ではないだろう。他人から見て書き手の弁別が困難なだけでなく、すでに筆者自身がどこまでが自分の執筆したものなのか、その境界線が不分明なのだ。もはや著者が明確な個人の輪郭を保ち得ない状態にまで主体は崩壊し始めている。文科省の人文学部の削減に対しても、教員から人文学部を守れという声は上がるものの、人文学とは何なのかという本質的な議論はほとんどおこなわれていないのが現状であろう。その結果、研究者であれば現実を対象化する批評理論には向かわず、細分化された既成分野で実証研究に閉じこもってしまう。

ここには震災以降に顕わになってきた社会状況が端的に現れている。福島第一原発から漏れ出した放射能や汚染水がどれだけの悪影響を与えているのか、それは何十年もの時間が経過していく中でしか知ることのできない不可知の出来事なのだ。だからこそ、この覆い隠された記憶の底に沈んだ原光景に光を当てて言葉に変えていく作業が必要になる。津波が襲ったあの時に目の当たりにした光景、聞こえてきた叫び声は、今、誰が聞き届けているのだろうか。受け止める者がいなければ、その光景や声は断片化されて記憶の底に深く沈み込む。しかし、生者の社会にこびり付いて離れない罪責感は決して拭い去れるものではない。私たちが生き延びた際に、代わりに誰かを見殺しにしてきたのではないか。そうした内なる不安は亡霊のように回帰し、生者に付きまとって離れることはないだろう。

他人と共に生きる

被災地の人たちが今も苦しみあえいでいること。それは、国内の原発施設や米軍基地、さらにはアジアの戦争など、周辺地域の犠牲の上に社会の経済的繁栄があったという、戦後の日本社会の構造そのものを反映したものに他ならない。だとすれば、高度成長という資本主義の自己増殖の運動体からどのように離脱することができるのか。震災をめぐる議論は被災者が可哀想だという感情論にとどまることなく、確固たる思想へと練り上げられていく過程の最中にある。被災地に赴いた宗教学者の中には人々の痛みを目の当たりにして学問を投げ出し、一般のボランティアや擬似宗教者に転じてしまう者もいる。しかし、自分の無能さを前に学者として踏みとどまることなしに、学者にどんな価値があるというのか。

過日、『死者の花嫁』の著者でもある佐藤弘夫氏(東北大学教授)に案内されて、山形県の湯殿山麓の即身仏のもとを訪れた。「江戸時代、飢餓に苦しむ多くの人たちのために自ら捨身行を課した生き神でもあった」という。それは人間の理性を過信することなく、有限な人間が無限な存在へと開いていくときに生まれる、欠損を抱えた異種混交的な主体なのだ。経済成長という大文字の他者の欲望をどのように切断し、その痛みを媒介にして新たな日本社会という主体を再構築していくのか。その苦痛を我が身に引き受けるときに、人間は他人のために生きることができる。凡俗な私には即身仏のような捨身行は到底できないものの、他人と共に生きる身の施し方を示し教わる思いであった。

見えない不安に打ちひしがれたままではいけない。何かを引き受けることで、この茫漠とした世界不安に対して形を与えていく必要がある。人間は世界の主人ではないが、奴隷でもない。世界の転移状態から目覚めるのだ。ほら、耳を澄ませば、死者たちのざわめきが聞こえてくる……。

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