原発事故被害地の今 覆い隠される被ばくの危険(5月29日付)
「先祖代々の墓参りに行くのさえ当局の許可が必要なのですよ」。福島県の住職が、被害者である檀家の苦難を代弁した。東京電力福島第1原発事故で故郷や居住地がなお避難指示区域の人だけでなく、長期的な強制避難で遠方への転居を余儀なくされた高齢者も墓参に戻るのは困難だ。
現在も続く同様の苦しみ悲しみを、事故被害者の関西での講演会でも聞いた。浪江町津島地区の帰還困難区域から避難中の高齢女性Mさんは、当初各地を転々とする中で福島から来たことによって酷い差別を受け、車に傷まで付けられた。旧自宅周辺はなお放射線量が高く、被ばくの危険で帰れないことを嘆くと、「風評加害者」とさえ非難される。
だが実際には、国や行政などによる事故がさも収束したかのような雰囲気流布の方が始末に悪い。現に、同地区に新たに復興公営住宅が建設され、手厚い補助で生活に困るシングルマザーが移住入居したが、付近で基準値を超える線量が検出される場所もあることは広報されておらず、幼い子供が屋外で遊んでいる実態をMさんは心配する。
ほかの村では、高額の補助金で若夫婦が移住して来たものの、周囲に住む帰還村民は高齢者ばかりで、子供の遊び相手がいないなど育児環境には程遠く、また転出していったケースもあるという。
県内在住の写真家飛田晋秀さんは、事故被害地に足しげく通い、各地の放射線量を計測記録しつつ、荒廃してゆく地域の様子を撮影し続けている。まだかなり汚染が残る地域があるにもかかわらず、それが公表されていないため自宅に戻って畑を耕す住民もいる。ある廃屋では数万ベクレルと、国の基準よりはるかに高い放射線量が検出された。
被害の実態を各地で講演もする飛田さんが記録を始めたきっかけは、ある少女が「大人になってお嫁さんに行けるでしょうか?」と不安を訴えたことだった。返答さえできず号泣するほど衝撃を受け、ライフワークとすることを決意したが、例えば半減期が30年の放射性セシウムは消滅するのに300年かかる。「なのにわずか15年で復興とは欺瞞だ」と告発する。
この春、かのMさんの旧宅前を訪れると花桃の苗が新たに植えてあった。主のMさんが戻って花を見ることはかなわないが、「ただの空き地じゃなく、元は人が暮らしていたことをせめて知ってほしいから」と語る。苗木を揺らす風の音に、顧みられない被害者たちの慟哭が聞こえるようだった。








