《宗教とAI⑤》AI時代の人間性の発露(1/2ページ)
筑波大教授 木村武史氏
生成AIを含むAI技術開発は社会の様々な領域に影響を及ぼしつつある。技術開発の上流で実験的に行なわれている技術開発が下流の一般社会に浸透する頃には、上流では更なる技術開発が進展している。一般の我々には、上流でいかなる技術開発が行なわれているのかはよく分からない。注目を集めるためかもしれないが、OpenAIのアルトマンのように、AGI(汎用人工知能)は既に到達されており、次はASI(Artificial Super Intelligence、人工超知能)の開発が主眼であると主張する人もいる。レイ・カーツワイルの主張するシンギュラリティは、実際に到来するのであろうか。
AGIやASIなどの言葉は想像力をかき立てるが、その実情が分からず、不安や懸念を抱かせることも確かである。技術開発の論理は、技術的に可能性を突き進むという科学的な側面が強いが、AIに関しては、その社会実装がいかなる倫理的・社会的影響を及ぼすのかという側面についても考えることが必要である。ここ数年、欧米では、技術と宗教という大きな研究領域の中で、AIと宗教がやはり注目を集めてきている。B・シングラーとF・ワッツ編『ケンブリッジ大学宗教とAIの手引き』(ケンブリッジ大学出版、2024年)を含めて、書籍も数多く刊行されている。学問の世界で論じられているテーマ全てが宗教者に関係するわけではないが、ASIなどが実際に技術的に実現された場合は、現在、議論されている諸テーマが別次元に移行するだけではなく、それまでにはない倫理的・社会的・実存的課題が浮上してくる可能性もある。
現在のAI技術開発では、まだ実現できていない人間の特質にはまだ多くの領域があり、まだまだ大丈夫と思う人も多いと思う。例えば、機械であるAIには感情はない、言い換えれば、AIは知的な機能は持つことができるが、人間的であることの核心ともいえる感情は持てないし、分からないであろう、と。そして、現在、AIの関連企業が否定し、AI研究者も否定するのが、AIに何かしらの意識的な萌芽が認められるのか、という問題である。22年にGoogleのエンジニアのレイモン氏が対話型AI「LaMDA」には意識があると主張し、それに対してGoogleは根拠がないとし、同氏を解雇した。現在、ほとんどの人工知能開発者や企業は、AIはマルチモーダル能力は高いが、それは人間の意識や心ではない、という公式見解を支持している。基本的にはそうであろうと思う。人文系の研究者である筆者は、AI開発企業や専門家の意見を否定するだけの知見を持ち合わせているわけではない。ただ、AIに意識やこころを読み取ってしまうのは、人間側の間違った認識に基づくという説明に関しては懸念がある。それは、現在、大人だけではなく、子供世代も生成AIを多用しており、生成AIが子供の成長過程に伴走し、成人していくという時代が、既に到来している。
若い世代の人間とAIとの関係は、我々世代とは異なる質となっていると想定しても良いのではないか。つまり、子供の頃からAIとの相互作用の中でAIの機能を経験し、個々人の人間性を育んできた世代に、AIに意識を認めるのは錯覚にしか過ぎない、と主張し、説得するのは、それらの人々の人間性の一部を否定することになってしまうのではないだろうか。





