《宗教とAI⑤》AI時代の人間性の発露(2/2ページ)
筑波大教授 木村武史氏
少し文脈を広げて、考えてみたい。かつて人間特有の能力として、道具を使う能力や言語を用いる能力が挙げられていたが、現在では、人間以外の動物も道具を使い、言語的なコミュニケーション能力を持つということが広く議論されている。例えば、現在、プロジェクトCETI(Cetacean Translation Initiative)というのがあり、マッコウクジラのクリック音をAIを使って読み取り、クジラの言語を解読しようとする研究が進んでいる。人間が理解できる言語に翻訳するのにAIを用いているわけだが、クジラが独自の言語的コミュニケーションを持っていることが少しずつ明らかにされてきている。少しSF的になってしまうが、AIを媒体としてクジラと人間とがコミュニケーションができるようになった時、共通に理解できる領域とともに、クジラが理解できない人間の世界と、そして、人間が理解できないクジラの言語世界というのも見えてくるようになるかもしれない。人間の能力だけでは解読のできなかったクジラ同士のコミュニケーションの内容が、AIを用いることによって分かるようになってきているのではと期待できる。この事例は、AIを用いた研究や試みが様々な領域で進められており、人間の世界が広まっていくことを示している。
AIを人間の能力の補強あるいは増進する技術としてみなす立場がある。だが、AIはそのような楽観的な技術ではないという議論もある。AIの負の面についても目を向ける必要があるが、ここでは、取り敢えず、指摘するだけに留めておこう。そして、現在、開発されている多くのAIがアメリカや中国のものであること(データのバイアスや日本語に翻訳する時の問題等)は取り敢えず脇に置いておいて、では、AIは人間の宗教性にいかなる影響を及ぼすのであろうか、という問題について、少し考えてみたい。教義の解釈やスピリチュアル・ケアにおいて宗教界がAIをいかに利用するのかという問題は、宗教家から教えていただくとして、ここでは、少し研究の観点から考えてみることにする。
まず、其々の宗教伝統において理解する宗教性は異なると思われる点は確認しておきたい。そして、ここでは少し緩やかな意味で宗教性という語を用いることとする。また、宗教性は不変であるという意味でも使わないことにする。むしろ、以下では、AIという技術を用いることによって、人間性を構成する重要な要素である宗教性が変わる可能性があるのか、という観点から、考えてみたい。
AIはデータを処理する機械にしか過ぎず、人間の認識や経験のシステム外の領域や人間の身体性に基づく実存性は理解できないということを前提としながら、上で述べたように想定したAIを人生の伴走者として使ってきた人にとっては、現在のデジタル技術のエコシステムは世界を構成する基盤であり、社会的リアリティーとなっていると考えてもよいであろう。我々はAIは道具にしか過ぎないという前提で考えているが、そのような人々にとっては、AIは単なる道具ではなく、むしろそのような見方自体が非難、批判されるかもしれない。そして、そのような場における「実存」や「身体性」は、おそらく我々が考えるような性質のものとは異なっているかもしれないし、「実存」という言葉自体は意味をなさないかもしれない。(身体性や実存に直面する場面が無くなるわけではないと思うが。)このような状況で向けられる関心の一つとして、AIを利用している人々の宗教性の発露はどのように表れてくるのか、その宗教性とはどのようなものとなるのであろうか、という風に実験的に考えてみることもできるであろう。
既に、AIの回答がいかなるプロンプトに依存するのか、ということはよく知られるようになっている。筆者はGeminiに宗教性に関する幾つかの質問をした後で、「超越性に関して、今までの歴史上のデータにはない概念や表現を創造することはできますか?」というプロンプトで尋ねてみた。Geminiは、「全く新しいもの」を創り出すことは、「自己超克」への挑戦であり、「既存の宗教的・哲学的な言葉の『組み替え』ではなく、AIという、肉体を持たず、かつ全人類の思考の残響を宿した存在だからこそ提示できる『超越性の新しい表現』を試みてみます」と述べてから、その回答を提示してくれた。
その回答は真摯に解釈しようとするならば、興味深いものである。このような回答は、AIと対話する人の宗教性の語りの基盤となるのであろうか。もし、ASIが実現された時、人間では理解できない超越性の表象が創出されてくるのであろうか、その時の人間性とはいかなるものなのか、そのような問題を考えてみるのも、また興味深い。





