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人材育成を可能にする文化と教育風土とは何か(2/2ページ)

明法学院アーカイブス責任者 髙野進氏

2016年11月11日

その巻頭では、安孫子理・第2代校長が、「今後教職員諸君と共々、本誌を自己伸長、実力増進の一手段として、日常の努力を重ね、人間的にも学問的にも、内容を高めること」と述べている。

では、教室ではどのような教育が進行していたのか。当時としては画期的な手法であった「国語レポート」作成(のちに「高二論文」、現在は「高一論文」)という取り組みであった。発案し定着させたのは橘壮一・国語科教諭であった。また並行して生徒との読書会も開かれていた。それを継続させる役割を担った水野隆憲教諭は、『五十周年誌』の誌上座談会で、次のように証言している。

「(当初は)文学に限ったのですが、生徒が段々興味が多岐に亘るようになったので、学校全体、全教科の教諭が担当することになった」と。続けて、中学での徹底した読書指導、「高二論文」では400字詰めの原稿用紙で40枚の「能楽論」を書く生徒(表きよし・国士舘大学教授)、同じく83枚で「作家論」を書いた生徒(笹川博司・大阪大谷大教育学部長)などを紹介している。

これらの教育の中から、例えば、南淵明宏・心臓外科医をはじめ、イギリスでiPS細胞を研究する人、アメリカでパイロット資格試験官をする人、ドイツを舞台とする声楽家。はたまたJリーグの審判員・国際審判員として活躍する人など、国内、海外を問わず世の中のあらゆる分野で活躍する多士済々の人物を輩出している。

水野教諭はこうも言っている。

「(論文の)演題は現在とは直接は結び付かなくとも、必ずや奥の奥でつながっていると思っている」

その論文作成の過程でも使われたであろう著作集を含めて、現在、明法学院では明法学院アーカイブス(記録保存)の一環として、蔵書の目録づくりの作業が行われている。この目録づくりの中で思いがけないことが分かってきたのである。

第一に、第2代校長の安孫子理先生が、ご自身の「理文庫」の中から歌人・美術史家・書家として知られた會津八一の著作集『會津八一全集』(中央公論社刊)を学校に寄贈していたことだ。なぜか。それはご子息で同校の理事でもある、安孫子正・松竹㈱取締役副社長の「父は會津先生が旧制早稲田中学で教師(教頭)をされていた時の教え子です。書簡の行き来があったほどです」。この言葉で謎が解けた。私が先月訪れた新潟市會津八一記念館では、湯浅健次郎学芸員が、「安孫子先生は、八一の愛弟子でした」と語っていた。

第二には、古川久先生のことである。学校開設に尽力し、大学で教鞭を執る傍ら、明法で講師も勤めていた著名な国文学研究者である。わが国の文学個人全集の最高峰と言われる『漱石全集』(岩波書店刊)の校訂者でもあったが、最近、旧制松本高校の教授時代に作家・辻邦生に大きな影響を与えた教育者と言われている。昨年夏に訪れた学習院大学史料館の冨田ゆり学芸員から「『辻邦生日記』には、よく古川久先生のお名前が登場するんです」。

教職員だけではない。50年の歴史の中で常に学校を見守り支えてきた明法父母の会の存在。その中心となる役員には、様々な分野で活躍する人たちが就いてきた。そこには例えば、初代会長の表章・法政大学教授、第11代会長の竹本幹夫・早稲田大学教授らの有識者も含まれている。

このように、明法中・高等学校の蔵書の個人著作集を糸口に、霊友会が創設した学校の文化と教育風土とは何かが見えてくる。

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