祖師から現代へ 期待される宗教者の指導力(6月11日付)
日本仏教の特質が形成される鎌倉期の祖師たちの中でも、法然、親鸞、道元、日蓮の存在は極めて大きい。12世紀半ばから13世紀末にかけてのほぼ1世紀半の間に、4祖師は時を連ねてこの世に生まれ、歴史の中に活躍の足跡を刻んで去った。いずれも比叡山で学んだ後に遍歴修行を重ね、法然、親鸞は専修念仏の教えを勧め、道元は只管打坐・身心脱落の道を開き、日蓮は法華題目を宣揚した。ヤスパースのいう「歴史の枢軸」となる時代を我が国に形成した仏教者たちである。
4祖師に先立つ最澄、空海という巨人を視野に入れて俯瞰すれば、日本仏教は、最澄の誕生から日蓮が没するまでの約500年の間に、公伝以後の葛藤を経て国家的受容から普及、さらに鎌倉新仏教の勃興へと展開する。天台・真言の教えを樹立した最澄、空海の時代は、やがて宗派同士が勢力を競い対立抗争を繰り広げ、災害や飢饉、戦乱の頻発によって世相は混乱を極めていく。祖師たちが相次ぎ世に出て活躍した背景には、不安定な時代社会があった。
法然の唱える専修念仏が今生の安心と死後の往生をもたらす教えとして朝廷、貴族から武家、庶民に至るまで、不安と絶望の日々を過ごす人々の心を捉えたのは、明日をも知れぬ当時の社会状況と、末法の到来という時代認識への自覚があったことは疑い得ない。法然と40ほども年の違う親鸞は、法然が『選択本願念仏集』を撰述した3年後に門下に入り、念仏禁圧の嵐が吹き荒れる中で法然らと共に流罪の身となった。道元は法然の没後に出家しており、建仁寺の明全と共に入宋して天童如浄和尚から仏祖正伝の法脈を嗣承して帰朝した。
道元入宋の頃に誕生した日蓮は、生涯を国家諌暁と邪宗の破折に費やし、ために伊豆、佐渡と長く流罪の時を過ごした。その熱量の高い行動的な言行と篤信者に対する温かい情愛は、人間的魅力として武士や庶民に広く慕われ、剛情な教団勢力を形成した。祖師たちのそれぞれの信念は、我が国の仏教の特質として今日まで様々な影響を及ぼしている。
祖師の時代から800年を経る現代世界は「テクノ新世」とも呼ばれる新たな変革のるつぼと化している。人類がかつて経験したことのないデジタル技術の発展はとどまるところを知らず、人知を脅かす次元に及んでいる。激しい変動の時代にあって宗教者に期待されているのは、やはり時代の本質を見極め、変革の中でたたずむ人たちに指針を示し、宗教的指導力を発揮することだろう。