戦災体験の重さ
日蓮宗の終戦80年慰霊法要を取材し、被爆者の体験談を聞いた。広島市内に住んでいたその男性は5歳の時に被爆。川遊びをしていて見た閃光、防空壕から眺めた黒い雨、父親を捜しに行った時の不安な気持ちなどが語られた◆市の中心部から戻ってくる人たちはみな黒焦げで見分けがつかず、夕方帰宅した父親も全身をやけどしていた。背中にたくさんガラス片が刺さっており、取ってあげようとしたが、子どもの力ではペンチを使っても取れなかったという◆太平洋戦争での日本人の戦死者数は300万人を超え、原爆の死者は広島で14万人、長崎で7万人と推測される。大変な数の人たちが亡くなったと驚かされるが、被爆体験談を聞く時ほど胸が苦しくはならない。「真実は細部に宿る」といわれる通り、小さな事象の描写は全体をひとくくりにした言葉をはるかに凌駕する◆慰霊法要に参列された方一人一人に、戦中の思い出や当時を語る先代の姿が去来したのだろう。東京空襲の経験も聞いたし、従軍した祖父が銃殺されたと話す僧侶もいた◆悲惨な戦争体験は、語ることも聞くことも心をすり減らすものではあるが、確実に人の胸に強く響く。ウクライナもパレスチナも武力紛争終結の気配すら見えない今、個々の体験を歴史の大枠に埋もれさせない努力を、平和への着実な歩みとして続けていかなければならない。(有吉英治)