PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
2025宗教文化講座
PR
2025宗教文化講座 第22回「涙骨賞」を募集

鎌倉時代後期の南都北嶺と禅宗 ― 中世禅の再考≪4≫(2/2ページ)

関西大教授 原田正俊氏

2018年10月19日

円爾については、この連載の中でふれられる大須真福寺文庫の中にも、円爾の東福寺における講義の聞き書きを弟子の癡兀大慧がまとめたものなどがある。「大日経見聞」「瑜祇経(見聞)」等が書写本として伝えられ、円爾は真言宗で重んじられる経典を講義していたのである。草創期の東福寺は、九条道家の意向で、禅・顕・密を兼ね備える寺として造られたが、円爾の活動はこれに応えるものでもあり、13世紀の禅僧たちは、真言密教、天台密教などにも通じ、さらに禅を説く立場であった。こうした姿勢は一見、諸宗協調的な姿勢としてみられるが、禅宗の立場を強調すると南都六宗・天台宗・真言宗を刺激することになった。

とりわけ、東福寺、南禅寺と公家社会の外護によって大規模な禅寺が造営されると、南都北嶺側の危機感は高まった。

京都から追放など禅宗への批判・弾圧

文永5年(1268)には、延暦寺大衆は、禅寺賀茂の正伝寺を破却している(「東巌(慧)安禅師行実」)。南禅寺が造営されると、天台宗側では大衆が集会を開き決起して、亀山法皇が御所を禅寺に改めたことを非難し、朝廷にこの非を訴えている。延暦寺側は、法皇が天台宗・真言宗をさしおいて専修念仏を好むことにも批判を加えている。また、東福寺の円爾が禅宗を天台宗・真言宗の上に位置づけることを問題としている(『渓嵐拾葉集』第9巻)。

永仁2年(1294)には、円爾の教えを受けた巷間の宗教者、ササラ太郎・夢次郞・電光・朝露が異類異形の輩として京都から追放されている(『渓嵐拾葉集』第9巻)。また、絵巻物『七天狗絵(天狗草紙)』には、禅宗の影響を受けた巷間の宗教者、自然居士への批判と京都からの追放が描かれ、これは、先のササラ太郎と同一人物とみられる。禅宗の影響は、公家・武家のみならず広く民間の宗教者にも及んでいるのである。

亀山法皇の息子、後宇多上皇の時代になると、禅宗保護の政策は継承された。もっとも、後宇多上皇は密教修行に励んだことで知られており、真言密教に傾倒していたことも事実である。後宇多上皇は、禅寺、嘉元寺を東山に造営して、九州を拠点に活動していた南浦紹明を開山として迎えている。嘉元という元号を冠した寺であり、規模の大きな禅寺建設を計画していたとみられる。後宇多上皇は、同時に、大和国達磨寺の復興を進めようとした。達磨寺は、聖徳太子と達磨の邂逅を伝説として持つ禅寺で、当時は、この荒唐無稽とみられる伝承も歴史的な事実として見なされていた。

嘉元寺については、延暦寺の反発が起こり、造営は中止された。達磨寺についても、興福寺は、嗷訴を起こし、武装勢力である六方衆が達磨寺の伽藍を焼き討ちしている。興福寺は、達磨寺復興のための勧進を行う責任者であった仙海の流罪も要求し、徹底的に大和国内の禅宗の活動を抑え込もうとしたのである。鎌倉時代後期は、第2次の禅宗批判と弾圧が強まった時期ということができる。禅僧の思想的な兼修とともに、専修念仏や禅宗をめぐるこうした動向も含めて中世仏教の全体を捉えることが必要である。

心肺蘇生の成功率を高めるために 森俊英氏8月7日

死戦期呼吸とは 近年、大学の新入生全員への心肺蘇生講習や、保育者および小・中・高校の教職者への心肺蘇生講習が盛んに実施されるようになりました。さらには、死戦期呼吸に関する…

同志社大所蔵「二条家即位灌頂文書」を読む 石野浩司氏7月17日

(一)即位灌頂の創始と摂関家 史実としての即位灌頂は、大嘗会「神膳供進作法」にまつわる五摂家の競合のなかで、弘安11(1288)年、二条師忠と天台座主道玄、文保元(131…

日蓮遺文の真偽論と思想史観 花野充道氏7月4日

1、研究者の思想史観 2023年の12月、山上弘道氏が『日蓮遺文解題集成』を上梓された。山上氏の永年の研究成果に基づいて、日蓮遺文を真撰・真偽未決・偽撰の3種に判別して示…

「〇〇じまい」の風潮 地域コミュニティーと宗教(8月29日付)

社説9月3日

地域社会の苦に関わる 宗教活動の現代的展開(8月27日付)

社説8月29日

戦後80年の視座 宗教団体法下の国家と宗教(8月22日付)

社説8月27日
このエントリーをはてなブックマークに追加