消えゆく故郷の風景 原発事故からの復興で(6月20日付)
「故郷が消えていく」――。東京電力福島第1原発の事故に見舞われ、被災者の長期避難で疲弊し尽くした福島県浜通り地区の各市町村で、「復興」を旗印にした開発の波によって以前の建物など街並みが次々と解体撤去され続けている。「再開発で住民帰還を」との国などの呼び声とは裏腹に、「放射能汚染でゴーストタウンにされた上に、今度は“町壊し”か」との住民の嘆きを地元住職が代弁していた。
国の大規模開発構想が急ピッチで進み、目立つ瀟洒な施設が建設された大熊町では、駅前から少し車で走るとそこら中に空き地があり、土台や囲いだけになった場所も目につく。図書館や保育園など公共施設も、民間商店やアパートも道路までも。長期避難で荒れ果てたとはいえ、住民にとっては見慣れた街並みだったのに、通りがかった男性は「前に何があったのかも分からない。原発事故で故郷が破壊されていくようで切ない」と訴えた。他町でも同じで、地域のランドマークだった寺も姿を消した。
隣接の双葉町では、原発誘致自治体によくある立派な役場の旧庁舎は荒廃してコケが生え、前の大時計は地震発生時刻の午後2時46分過ぎで止まったままだ。地区はほぼ無人で住民の姿を見ることはなく、地域医療の中核として人々の支えだった隣の総合病院も、損壊は大きくはないが近く解体されるという。
どこも、すぐ近くの帰還困難区域では家々や商店がバリケードに封鎖され朽ち果てている。崩れた廃虚はつまり、そんな原発事故被害の悲惨さの“証拠”としての遺構でもある。津波で破壊された建物は各地で一見して被害が分かる「震災遺構」として保存され、多くの見学者が訪れているのにだ。
もちろん、荒廃した建物などの多くをずっと放置するわけにはいかないだろうが、撤去が進むのは、新たな開発の適地として有益な場所であることが多い。儲かるか儲からないかで土地を区分するのは、人間を「役に立つか立たないか」で区別する発想と類似する――と指摘する宗教者もいる。
電源開発推進で立地した原発が究極の事故で破綻したにもかかわらず、今なお経済効率を住民の心情よりも優先させる姿勢。解体で瓦礫だらけになった街の風景は、パレスチナのガザを思わせる。イスラエルの非人道的攻撃で壊滅的に破壊された土地から住民を退去させ、リゾートなどの大開発をする構想がイスラエルの後押しを続ける米大統領によって“提唱”された、かの苦難の地の悲劇を。