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臨床宗教師研修の体験から学ぶ ―「良かった」の気持ち共有(2/2ページ)

傾聴ボランティア「聞き屋」代表 吉田敬一氏

2014年2月25日

「決して人前で善行をしたり、大通りで祈るのではない。部屋に入りドアを閉め暗い所で一人祈るのだ」。この雲心月性の言葉は、私なら悲嘆や苦悩を持つ人に寄り添えるはずだという慢心を砕き、そればかりか宗教者として以前に、一信者として己の信心に対し誠実に向き合っているかを、問い直さなければならないと強く考えさせられるに至った。

研修を無事に終えた直後、被災地から持ち帰った「問い」を抱えたまま、それでも研修で得た学びを活かすためには、苦悩、悲嘆を探して歩かなければと、どこか腑に落ちない思いがある中で、地元の緩和ケアホスピタルで活動する機会を得た。しかしここでは、臨床宗教師でもなく僧侶でもなく、今まで思い描いてきた支援活動者でもなく、ただの「近所の兄ちゃん」としてだ。近所の兄ちゃんが週1回、朝8時半から夕方5時まで院内を動き回る。

ここでは、寺訓でもあり私の座右の銘でもある、「ハイ、ニコ、ポン」の実践を徹底した。これは、ハイ!と即答、ニコッと快諾、ポンと即行動という意味だが、この現場主義的な金言のお陰で、患者様や看護師から様々な依頼を受けるようになってきた。患者様のベッドサイドに座りじっくりお話を傾聴することもあるが、一緒に散歩に出かけたり、買い物に付き添ったり、お茶を飲んだり、患者様の日常のお手伝いをしながら耳を傾けることがほとんどだ。

こうして、和敬清寂の心境で病院や介護施設に伺い、多くの人と接しながら、また法務で檀信徒と接するうちに、とても大切なことに気づき始めた。それは、臨床宗教師研修の学びを丁寧に紡ぎながら人と接するとその方の話、表情、行動、持ち物などのあらゆる情報から、苦しみや悲しみが、研修を受講する以前とは比べものにならないほど感じ取れるように私が変化していること。そして日常の中に埋もれている声無き苦しみ悲しみに、焦ることなく、捜し歩くことなく、自然な形で伴走する支援者としての私の在り方が確信出来たことにある。

つまり、臨床宗教師、僧侶、近所の兄ちゃん、どの私が支援者なのかを評価するのは被支援者さんで、私が行う支援が、宗教的特性を活かした支援かどうかを評価するのも、被支援者さんなのである。立場や知識などが削ぎ落とされた生身の人間が、苦悩や悲嘆の渦中で、被支援者さんと共にもがきながら一筋の光を見出していく、これこそが宗教の原点ではないだろうか。

宗教学者の山折哲雄先生が、日本経済新聞2012年7月の記事で「危機と日本人」と題し、西洋心理学的「心のケア」「マインドコントロール」を「道心」「菩提心」「深心」と対比しながら、心のこもっていない漂白された「心」という言葉の空虚を憂え、「心」好きの日本人に警笛を鳴らしつつ、神や仏によって心を潤わせてきた営みが、近代の論理によってその姿を消されてしまったことを嘆いて居られる。

私たち宗教者は、もう一度時代の変革に流されていく宗教を見直すべき時に来ているのではなかろうか。元来、人々の死中求活のうねりが宗教を誕生させたわけで、そのうねりに求められて始祖が誕生し、教義が勃興していくその原点を見つめるべき時ではないだろうか。人々の「心」は信仰や祈りに何を仮託して始祖を現出させたのかを多義的に解釈し、私たち宗教者は現代の渦巻くうねりの現場に向かって行かなくてはならない。

私たち宗教者の寄り添いを必要としている、漂白された「心」であるならば、まだ真っ白なはずだ。私たちが思う色に染めるのではなく、相手が理想とする美しい色に染めるお手伝いがまだ出来る。

ここで改めて、長女の命の教えを思い返してみると、長女に支援を下さった方々皆が同じ言葉を口にしていた。それは、長女が見せるお礼の笑顔にとても助けられるというものだった。人の心が命を支え、人の命が心を支える。苦悩の現場に人はどうあるべきか、つまり宗教の根源的な問いである。

私は、臨床宗教師は何かと尋ねられれば、苦悩や悲嘆の根源に向かって行く宗教者兼近所の兄ちゃんだと言うつもりだ。

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