「近代化」と「自由」―カイロから考える(1/2ページ)
国際日本文化研究センター教授 磯前順一氏
今日、私たちが問われているのは、「近代という、謎めいた経験」に対する自分なりの意味の咀嚼である。本稿ではその手がかりとして、エジプトをはじめとするイスラム世界との近代化の過程の比較を考えてみたい。
2024年11月16・17日のことである。エジプトのカイロ大学文学部及び日本学研究所が、国際日本文化研究センター(「国際日本研究」コンソーシアム)との共同で、日本の国際交流基金の助成のもと、会議「非西欧社会における近代化の再考:日本とエジプトの場合」を開催した。筆者は基調報告者として参加した。筆者にとってこの会議への参加は、欧米や東アジアでの交流とは異なる、別種の近代理解をもたらす経験となった。
絶えることのない紛争、男尊女卑の風習、その背後にある絶対的な唯一神アラーへの信仰心。そこに、西洋近代化の遅れを指摘するのは難しいことではない。そのなかで、世俗主義が進んだといわれるエジプトは、異なる信仰を有する他者との違いに寛容な社会と西側の世界で評価される一方、西洋化に屈した中途半端な社会とイスラム社会では貶められてもきた。
イスラム化する前に古代エジプト文明という伝統を有したギリシャの末裔たちの社会と、サウジアラビアをはじめとするイスラム原理主義を打ち出す社会では、同じイスラム国家とはいえ、イスラム信仰を受容する歴史的土壌が異なっていたためと考えられている。エジプト人は自分たちをアフリカ人とは呼ばない。アラブ人、あるときはアジア人、そしてギリシャ人の末裔と、その呼称は実に複雑なものである。それを、イスラムという宗教的アイデンティティーが柔らかく包み込んでいるように見えた。
ドイツの宗教社会学者マックス・ウェーバーの説くテーゼは、プロテスタンティズムにおいては人間が救済されるという事態はあくまで神による恩寵であって、人間自身がその決定に関与することはできない。しかし、その信仰の敬虔さが形骸化するとき、現世の経済活動で得た金銭的な蓄えこそが来世における救済を約束するという人間中心主義的な、資本主義の精神が成立するという解釈であった。この仮説がいまなお妥当ならば、プロテスタンティズム的な信仰の倫理を中核としながらも、人間の外側にあった救済という観念が人間の欲望に絡み捉えられることで、資本主義の精神が世俗主義の一形態として誕生したことになる。
イスラムの場合は、むしろ信仰心が確保され続けるなかで、その信仰の形態は時代や地域とともに変容しながら、近代化が推し進められていく。この場合の近代化とは、西洋近代化とは同義語ではありえるはずもない。近代化という言葉は、日本のような西洋近代への同化だけではない、「複数の近代(modernities)」を含意するものである。イスラム原理主義もその一つなわけだが、これは西欧型の資本主義に対する極端な反発という意味で、もっとも敏感に西洋的な近代主義に反応したものと考えたほうがよい。イスラム世界では、むしろ世俗主義と呼ばれてきたエジプトの近代化のほうが、西洋近代化への同化と見せて、その内実を変容させた懐の深い反応を示してきたように思えた。
その卑近な例として、カイロの交通事情を見てみよう。日本と比較すると、カイロは大都市であるにもかかわらず、信号機が極端に少ない。広い道路でも車線が引かれていないことも多い。そのためか車列は道路の混み具合、道の分岐点で、臨機応変に車列の数は変じていく。隙間が空けば、そこにどんどん車が突っ込んで、新しい車列ができていく。日本社会の規則に慣れた私が驚いたのは、その車列の間を縫うようにオートバイや自転車が蛇行しながら縦行し、その車列を今度は歩行者や犬が横断していくことであった。現地に住むエジプトの友人に尋ねたところ、日本は国家がしっかりしているから、法制度を整備して、走行スピードの上限や信号機による横断時間帯を定めることができる。一方、そこまで法制度の整っていないエジプトでは、こうした規則を現場で実施する強制力を政府が有していないという。