《「批判仏教」を総括する⑤》吉蔵と如来蔵思想批判(2/2ページ)
駒澤大仏教学部教授 奥野光賢氏
伊藤氏の研究において特筆すべきは、前掲書第1章「中国における仏教受容の基盤―道・理の哲学」、第2章「孔子の道―道・理の哲学に対峙するもの」において、仏教思想研究者として『老子』『荘子』『易伝』『韓非子』「郭象」「張湛」「孔子」等の思想について論究した点である。伊藤氏の研究は、中国思想の専門家である溝口雄三氏の取り上げるところとなったが(溝口雄三「中国における理気論の成立」『世界像の形成』東京大学出版会、94年)、仏教研究者の反応は意外にも少なかったように思われる。
松本氏が如来蔵思想に対する批判的研究に着手されていたほぼ同時期に、松本氏の研究とはまったく別個に吉蔵に対する重要な論文を発表し続けていたのが末光愛正氏である。すなわち、末光氏は、従来の研究史において吉蔵はいわゆる「三車家」とされてきたが、「三車家」と認定する根拠が薄弱であり、吉蔵には「三車家」「四車家」両方の側面があったことを粘り強く主張した(「吉蔵の頓漸説と三車四車説」『印度学仏教学研究』第30巻第1号、81年。「吉蔵三車説の誤りについて」『曹洞宗研究員研究生研究紀要』第16号、84年等を参照。他にも指摘しなければならない末光氏の研究は多いが、いまは紙幅の関係から省略せざるを得ない)。そして末光氏は、吉蔵が「三車説」「四車説」両方を認めることにこそ、吉蔵の思想的特徴があるのだとして、自説を補強すべく「吉蔵の『唯悟為宗』について」(『駒澤大学仏教学部論集』第15号、84年)、「吉蔵の『無礙無方』について」(『駒澤大学仏教学部論集』第16号、85年)という二つの論文を発表する。氏は次のように述べる。「吉蔵は諸説に対し、否定するならば全て否定し、逆に定執せず得益得悟する説であるならば、全て肯定する。それが況して仏説であり、一経中に矛盾する二説が存在しても、一方のみを肯定する様な事は、吉蔵の思想上ありえない事である」(「吉蔵の『唯悟為宗』について」272頁)、「「平等の大道は無方無住なるが故に一切並に非なり、無方無礙なるが故に一切並に得なり」と云う「無方無礙」思想、或いは「唯悟為宗」思想があるからこそ、三車四車の両説は肯定される」(「吉蔵の『無礙無方』について」316頁)。
続いて末光氏は論文「吉蔵の成仏不成仏観」を著し、吉蔵には慈恩大師基(632~682)の「五姓各別思想」の先蹤となる「不成仏思想」があると指摘した。この論文は途中、私による反論もあったせいか、第10回まで書き継がれることになる。詳しくは後述する拙著を参照されたい。すなわち、末光氏は、従来のように吉蔵は大乗『涅槃経』の言う「一切衆生悉有仏性」に立脚して「一切皆成」を説いたいわゆる「一乗家」とは言えないと主張したのである。
松本氏は伊藤氏および末光氏の研究を高く評価し、吉蔵思想の特質はまさしく“dhātu-vāda”(基体説)そのものであるとして、「三論教学の批判的考察―dhātu-vādaとしての吉蔵の思想」(平井俊榮監修『三論教学の研究』春秋社、90年。のちに松本『禅思想の批判的研究』大蔵出版、94年に再録)を著し、吉蔵の思想を厳しく批判することとなった。氏は次のように述べる。「吉蔵の思想の中に、不成仏思想があったと論証する末光愛正氏の一連の論文は、私にとって極めて注目すべきものである。即ち、“dhātu-vāda”の基本的主張においては、単一なる基体の上に、成仏するものと、絶対に成仏できないものという両者が相並んで超基体とされるが、このように見れば、“dhātu-vāda”は一切皆成説ではなく、一分不成仏説でなければならない」(547―575頁の注29を参照。引用は松本『禅思想の批判的研究』による)。
「一切衆生悉有仏性」を説く如来蔵思想は平等思想ではなく差別思想であると主張する松本氏が、吉蔵の思想中に「不成仏思想」があるとする末光説を高く評価することは見やすい流れであろう。
私は末光氏が松本説をまったく顧慮することなく議論を進めていたことに遺憾の意を表わすとともに末光氏によって吉蔵が不成仏思想を説くと指摘された箇所をあらためて検討し、いささかの反論を試みたのであった。それらをまとめたものが拙著『仏性思想の展開―吉蔵を中心とした『法華論』受容史』(大蔵出版、2002年)である。詳しい私の問題意識については、拙著を参照していただければ幸いである。
その他、関連する重要な問題として、吉蔵の特徴的経典観である「諸大乗経顕道無異」についても関説したかったが残念ながら与えられた紙幅が尽きてしまった。それについてはまたの機会に論ずることにしたい。
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