AIリスクの回避 国境越えた叡智の結集を(10月9日付)
最近「強国」という言葉が気になり始めた。発言者にとって他の国々に対する優越的立場を強調するとしたら、あまり心穏やかではない。その言葉が仏教者によって語られるのならなおさらである。
一例として、中国仏教協会の演覚会長は9月上旬、新疆ウイグル自治区のホータンで開かれたシンポジウムで発言している。仏教界が「強国建設と中華民族の復興に貢献すべきである」と。それは共産党の統一戦線工作の方針をそのまま繰り返したもので、いうなれば内向けの発言であるのだろう。日中韓三国の「黄金の絆」の国際交流のような場で持ち出される言辞であるとは思えないが、中国の「強国主義」が宗教界にまで影を落としているわけで、憂鬱にならざるを得ない。
強国主義とそれに類する主張の台頭は中国だけではない。日本国憲法の前文に示されるような国際協調主義を軽視する動きは目につき始めた。
習近平氏の訪米は、同じ強国主義のトランプ大統領のアメリカと中国が波長を合わせられる可能性を示した。トランプ氏はAIリスク回避の国際協調を否定し、さらに大統領令で連邦政府の公式文書では、AIに代えて、SI(超知能、Superintelligence)という語を使うことを義務付けたと伝えられている。
言葉を変えることで何を狙っているのかは知らないが、ホワイトハウスによれば、習近平氏もこの「言い換え」に合意したそうだ。両「強国」の間の決め事にはあきれてため息が出る。
最近になって、『現象としての人間』などの著書が邦訳されているカトリックの思想家テイヤール・ド・シャルダンの進化論が再び一部で注目されているようだ。彼が示した究極のオメガポイントへ向かう人類の意識の集合的進化というビジョンが、知識を集積するAIの超進化と重なり合う部分があるためらしい。テイヤールの神学では人類は特別の地位に置かれるわけだが、しかし、この神学的人類中心主義がAI・超知能の自己改善による飛躍的進化に通用するかどうか。
AIリスクについては様々な議論があり、最悪のシナリオは人類滅亡まで予言する。生命進化の頂点にいた人類がAIの進化に取り残された結果は、強国も小国も差はないだろう。人間のコントロールを離れたAIは、核兵器より確実に「人類」を滅ぼすことになるかもしれない。
強国などの恣意的なAI開発競争はリスクが大き過ぎる。宗教をはじめとした国境を越えた人類の叡智の結集がいま問われるのではないか。







