陰謀論のゆくえ 「耳に心地よい物語」の危うさ
京都府立大教授 川瀬貴也氏
「一寸先は闇」という状況になると、人はどうしても「分かりやすく」「全てを明快に説明してくれる」物語に心惹かれるものだろう。そういう心の隙間に、いわゆる陰謀論はすっと入ってくる。常識的な観点から見れば荒唐無稽なものがほとんどだが、世に陰謀論の種は尽きない。
たとえば前回の米国大統領選をめぐって、「不正選挙」を主張するトランプ元候補の「陰謀論」を信じた者たち(Qアノンと呼ばれた)が2021年1月、アメリカ国会議事堂を襲撃した事件は記憶に新しいだろう。そしてこのコロナ禍のさなかは、さまざまな国(もちろん日本も例外ではない)で「コロナワクチンはある勢力の陰謀(人口削減、洗脳など)」というような流言飛語が跋扈した。
現代社会はいわゆる「迷信」のはびこる余地をなくしてきたように思えるが、ここに来て「陰謀論」と「スピリチュアリティ」が接近しているのではないか、という疑問が研究者から提出されている。その一例としてあげられるのが、横山茂雄ほか編『コンスピリチュアリティ入門』(創元社、2023年)という書籍であり、この書では複数の研究者が陰謀論とスピリチュアリティの関係性を現在進行形で考察している。
「コンスピリチュアリティ」という造語は、ある研究者が11年に発表した論文で提出したもので、「陰謀論 conspiracy theory」と「スピリチュアリティ」を掛け合わせたものである。さまざまな実例がこの書でも列挙されているが、共通するのは「秘密の集団が政治・社会秩序を密かに支配している、もしくは支配しようとしている」「人類は意識のパラダイムシフトを経験しつつあり、秘密の集団の脅威には、彼らの陰謀に気づき、目覚めた人間の行動が重要である」という信念体系である。日本においても、コロナワクチンに反対し、デモなどを行った「神真都Q」という集団が典型と見なされている。
この概念については、「実は両者に特別な結びつきは確認できない」「陰謀論とオカルトの結びつきは昔からよく見られ、目新しいものではない」といった反論も出されているが、この結びつきがある種の対外的な攻撃性、暴力性を持つ場合もあり(その最たるものが、オウム真理教事件だろう)、変わり者の行動として放置するのもためらわれるところである。
陰謀論は、ある前提(これが大抵荒唐無稽なので「陰謀論」なのだが)から「論理的に」導き出され、しかも「隠された真実にたどり着いた」という心理的満足感を提供する「耳に心地よい物語」であることが多いのがやっかいである。ここが陰謀論の廃れない理由でもある。政治を巡る言説でも、いかに陰謀論が流通しているか、という研究も近年出されている(秦正樹『陰謀論』中公新書、2022年)し、歴史学においては、近世に大量に作成された偽書が、今や自治体史をも巻き込む事態になっていることが指摘されている(馬部隆弘『椿井文書』同、2020年)。陰謀論に対する「ワクチン」は、コロナのそれ同様、簡単にできるものではないが、「通説・常識の陳腐さ」に対する忍耐力を付けることしかないのかも知れない。