アカデミー賞2作品 核問題への深い洞察必要(4月17日付)
米アカデミー賞で作品賞などを受けた「オッペンハイマー」と日本の「ゴジラ―1.0」がロングラン上映を続ける。くしくも両作品とも核兵器に関連する内容だが、それぞれ戦争と平和について論議の重要性を感じさせる。
前者は大戦中、米国で核開発をリードし「原爆の父」と讃えられた科学者の評伝。後先考えず「純粋に」兵器生産という技術研究に邁進した揚げ句、広島に投下して無辜の市民多数の命を奪った凄惨な結果に愕然とするオッペンハイマー。だがそれを「良心の呵責による苦悩」などと美化しても、一瞬にして殺害された多くの被爆犠牲者の苦難とは比較するまでもない。
一方で、「悲劇の主人公」と持ち上げるでもなく、全く共感や同情さえも感じず無自覚で単純な科学者の罪と突き放した見方もできる映画作りにはなっており、今なお「原爆が戦争を終わらせた」神話がはびこるかの国と日本とでは観客の反応が異なると思わせる。
また戦争遂行に総力を挙げ、戦後も対ソ連の冷戦でそれを引きずる当時の米国の状況、内部に根強い原爆使用反対論もあった事実や戦後に主人公もやり玉に挙がったレッドパージの暴虐を描いているのは興味深い。ただ、主人公らが原爆開発の動機、拠り所としたのが、「もしもナチスドイツが先に作って使えば」との理屈だったことは大事なポイントで、これは現代も核兵器禁止に反対する国々の「核抑止論」と通底する。
ドイツが降伏、日本も寸前だったにもかかわらず原爆投下が強行された歴史が物語るように、兵器開発はそれ自体が軍拡を招く。終戦直後を舞台にした「ゴジラ」は、その面である種の危惧も感じさせる。強烈な反核反戦映画の第1作「ゴジラ」(1954年)を意識しているが、そのようなメッセージは希薄で、「抗え!」という宣伝キャッチフレーズが象徴するように、むしろ強力な敵たる怪物をやっつけるという姿勢が軸だ。
復員者である主要登場人物が「先の戦争でできなかったことをするんだ!」との趣旨を叫ぶのが危うい。「もし怪獣が攻めてきたらどうする!?」との理屈で、皆で戦うことを賛美する作りだが、現実には(多分)ゴジラは来ないわけで、すり替えによって怪物に仮託した「仮想敵」への備えを強調すれば、ある種の「抑止論」が許容される危険性もある。
その前に現実の世界で平和を実現する努力こそ重要だ。受賞したのが「視覚効果賞」のただのエンターテインメントと言えばそれまでだが、いのちに寄り添うべき宗教者には深読みも必要だろう。