PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
第22回「涙骨賞」を募集
PR
第22回「涙骨賞」を募集

「魂のシェルター」としての宗教 ― 人々が排除されない地域へ(1/2ページ)

支縁のまち羽曳野希望館代表 渡辺順一氏

2015年1月23日
わたなべ・じゅんいち氏=1956年生まれ。金光教羽曳野教会長を務める。「無縁社会」の克服に取り組み、2011年には支縁のまちネットワーク共同代表に就任した。

歴史学者の網野善彦が『無縁・公界・楽』で描いたように、かつて日本社会には、世俗権力が入り込めない「聖域」としての「アジール」(「無縁の場」)が多種多様に存在していた。地域に遍在する様々な寺社も、やはり「無縁の場」としての公共性(=「公界」性)を矜持し、世俗社会に対する超越性・聖性を勝ち取っていた。すなわち、かつて宗教施設は、特定の檀徒・信徒集団との繋がりを超えて、地域社会から吐き出された多種多様な人々を無差別に受け止めていく、「シェルター」(避難場、駆け込み寺)としての機能を持っていた。

そのような宗教の無縁性・公界性は、近代社会の出現と共に解消させられていくが、宗教施設が「無縁の場」であったことの記憶が人々の心から全く消し去られた訳ではない。生きる不安や苦しみを受け止めてくれる、魂のシェルターとしての宗教への期待は、貧困と孤立が蔓延する今日の日本社会にあって、次第に広がってきているように思う。

筆者はこの十数年、様々な教団の宗教者たちや、労働団体など非宗教セクターの人たちと共に、生活困窮者支援の社会活動に参与してきた。近年は、地元羽曳野市(大阪府)で、教会の信徒たちや僧侶・友人たちと「一般社団法人 支縁のまち羽曳野希望館」を立ち上げ、市職員、社協、NPO・ボランティア団体、フードバンク事業体などとの幅広い連携の下で、「支え合いのまちづくり」の活動を開始している。そして、これらの「協働」の関係の中で問いとして浮上してきたことは「公共性や公益性とはそもそも何であり、その担い手はどのような形で見いだされていくのか」ということである。

国家の政策課題を具体化する段階で、その時々の「公」(パブリック=政府、地方行政)が公共性を体現するとは限らないし、場合によってはその公共性・公益性の主張がマイノリティーに属する人々(「私」の群れ)の生存権を暴力的に抑圧することもある。このことは、行政から事業委託を受けた「共」(コモンズ=社協、NPO、組合など)による社会支援の活動についても同様である。

かつて戦時下にあって、「天皇制国家」(公)に繋がれた「共」や諸宗教は、死にたくないと願う人々の生存欲求を、「私」の情として否定し去った。しかし、「滅私奉公」という「聖戦」遂行スローガンの下に隠されてあっても、生きたい、愛する者を死なせたくないという「私情」は、人々の生活意識に共有される、公共性を帯びた感情であったはずだ。

このような「公―共」と「私」との間のねじれ関係は、排除型社会の様相を帯びた現代(後期近代)の地域社会にあっても、別の形で生起している。例えば、1990年代後半から顕在化した「ホームレス」(野宿者)問題は、経済的貧困の問題であると同時に、地域社会の中では「公共の場所」をめぐる社会的軋轢の問題でもあった。「公」(行政)や「共」(町内会、商店組合など)は、公園整備や環境保全という名目での公共性を主張して、それらの場所から野宿者を合法的・強制的に排除した。野宿者を犯罪予備軍や社会的落後者と見なす社会意識の上に形成された公共性の主張は、路上での生活を余儀なくされた「私」が発する「つぶやき」の言葉を無視し、彼らを地域社会を共に担う主体(=市民)としてではなく、地域社会から隔離し保護すべき客体の位置に追いやった。

このような状況で、絶えず考えさせられたことは「排除型となった地域社会の中で、宗教が開くべき公共性とは何だろうか」ということである。在地性の強い宗教の場合、地域社会を構成する家連合の一員でもあるその宗教施設は、檀徒・信徒集団に対して開かれた公共の場所ではあるが、地域社会から排除や忌避の対象となった人々に対しては、閉ざされてしまうことが多いのが現状である。

“世界の記憶”増上寺三大蔵と福田行誡 近藤修正氏11月28日

増上寺三大蔵と『縮刷大蔵経』 2025年4月、浄土宗大本山増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書(以下、増上寺三大蔵)がユネスコ「世界の記憶」に登録された。 三大蔵とは思渓版…

カピラ城比定遺跡巡る現状 村上東俊氏11月21日

失意の落選も価値は変わらず 釈尊出家の地と目されるティラウラコット遺跡の世界遺産登録が見送られた。この一報を聞いた時、全身の力が抜け落ちる感覚に襲われた。ユネスコ第47回…

三木清没後80年に寄せて 室井美千博氏11月7日

志半ばの獄死 「三木清氏(評論家)二十六日午後三時豊多摩拘置所で急性腎臓炎で死去した。享年四十九、兵庫県出身。三高講師を経て独仏に留学、帰朝後法大教授、著書に歴史哲学その…

緊張続く日中関係 仏教交流の意味に期待(12月5日付)

社説12月10日

正義に殉ずるとは 映画「ボンヘッファー」で(12月3日付)

社説12月5日

山上被告裁判 政治家と教団の関係を問う(11月28日付)

社説12月3日
「墨跡付き仏像カレンダー」の製造販売は2025年版をもって終了いたしました。
長らくご愛顧を賜りありがとうございました。(2025.10.1)
中外日報社Twitter 中外日報社Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加