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『本迹同異決 会本』刊行とその意義(2/2ページ)

法華宗(陣門流)教学部長 布施義高氏

2020年2月25日 09時18分

此等一連の非公開書刊行がもつ歴史的画期性は甚大であった。けれども、惜しむらく、それらの刊行は尚、今日の開かれた研究環境から見た場合、諸写本の渉猟やその書誌学的吟味、そして入念な対校作業を将来に期した形でもあった。また、昨今、『難勢』『同異決』両書を対照させながら容易に読み進めることのできる、会本形式テキストの作成を要望する声が宗内から上がっていた。

平成30年に門祖六百御遠忌を迎えるに当たり、如上の要件を満たし、諸写本一字一句の正確な読解に裏打ちされた、文献学的により完璧な『同異決』のテキストを刊行すること。それこそが、門祖の御遺徳の顕彰、御報恩謝徳に他ならない。そうした高い理想を掲げ、佐古弘文前宗務総長(平成28年11月御遷化)の先導により、平成22年12月に本迹同異決会本刊行委員会が組織された。

同委員会では、編纂の基本方針を固め、作業全般の主任を鈴木宏正師(宗学研究所副所長)が担当。委員諸師の読解や意見を統合していく形で編集が進められた。また、写本影印収録のための撮影作業を金原孝宜師(財務部長)が牽引。書籍の刊行が近づいた段階で、鈴木顕正師(学林長)が解題執筆を担当。正しく宗門の総力を結集して完成した書籍が、『本迹同異決 会本』上下2巻である。

平成30年12月に記念すべき刊行が果たされ、昨年1月には東京・大久寺において、門谷日悠管長猊下、西山英仁宗務総長、田中見成宗学研究所所長、そして上記諸師、刊行会構成員全員が列席して、佐古前宗務総長御霊前への刊行報告式が厳粛に執り行われた。

本書の刊行は、宗内教師を主な対象としたものではあるが、間違いなく、法華仏教研究界全体の発展に貢献する貴重な書籍になったと信じている。今後、門祖や陣伝論争、日蓮教学史上の本迹論などの研究は、本書を離れては成し得ないであろう。

『本迹同異決 会本』刊行と日蓮教学史研究

ところで、昨今の日蓮門下内における同胞意識に根ざした数々の建設的な協力体制、あるいは同様の理念に立った有志の活動の現出には特筆すべきものがある。

遡れば、宗政的には既に日蓮聖人門下連合会が貴重な活動を展開しており、学術面では、周知の通り、立正大学仏教学部が中心となって日蓮門下全体の総本山的役割を担い斯界を牽引してきた。

また、近時は、よりオープンな立場からの発信を可能にした法華仏教研究会(主宰=花野充道博士)が発足し、全日蓮門下規模の執筆陣が健筆を揮った『シリーズ日蓮』全五巻(春秋社刊、平成27年刊行完了)は「平成の日蓮研究の集大成」となった。更に、こうした流れを承け、真理追究と求道者相互の学問的交流を図る勉学の場として、法華コモンズ仏教学林(理事長=西山茂東洋大学名誉教授)も平成28年4月から始動している。

曽ての門流間に存した悪しき相克を超え、それぞれを尊重しながら日蓮門下全体の未来のために歴史を学ぶ姿勢と、同朋意識に根差した建設的な真理追究。そのことこそが、これからの日蓮教団のあるべき姿を切り開くに違いない。

一方、昨今の学術界を見るに、日蓮研究、法華教学研究は、劇的ともいえる進展を見せ、過去の重要課題をも新たなアプローチで容易に検討できる恵まれた研究環境が現出している。コンピューターの検索機能に基づいた資料収集の簡易化と作業の迅速性や正確性は、従前の研究環境と隔世の状況をもたらし、そうした手法を前提とした研究が斯界に広く定着しつつある。

その上で尚、今日の我々が心懸けるべきは、資料の丹念な精読であろう。著者の思想や心情、あるいは著作の全体が発しているメッセージを受信することは、やはりオーソドックスな資料精読を離れてはなし得ない。教学史的資料には、間違いなく、時代を超えた千金の重さを持つ所見が録されている。

以上のことを思う時、今回の刊行の有つ意義は、極めて大きく、我々が、過去の歴史に学び、日蓮門下全体のより良い未来を切り拓く為の糧として、貴重性を有つと思われるのである。

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