PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
第22回「涙骨賞」を募集
PR
第22回「涙骨賞」を募集

宗教と自己存在の問題について(2/2ページ)

時宗教学研究所研究員・一向寺住職 峯崎賢亮氏

2022年4月4日 09時16分

臨床の場における「末期癌」の宣告は、まさに絶望感を人にもたらす。根治が不可能であるから「末期癌」である。終末期医療における「新たなる未来の構築」は、いわゆる「あの世」が信じられるか否かにかかってくる。仏教における浄土にしろ、キリスト教における神の国にしろ、死後の世界が信じられるか否か、という問題である。ただ実際の臨床現場では、個人の宗教心をあてにするのみではなく、家族との関わりという、関係存在の強化で対処することが多い。

(2)関係存在の問題

関係存在とは、自己の存在を認識する為には、他者が必要である、という事である。例えば、夫という存在には妻が必要であり、医師という存在には患者が必要である。そして、関係存在を支える最も重要なものが、相手からの「まなざし」であり、特に、記憶の中に残る、不在者からの「まなざし」であることを、筆者はすでに論じた(『中外日報』19年4月5日号「存在を支える『まなざし』の考察」)。

かつて内科医であった筆者は、患者からの「まなざし」によって、その存在が支えられていたことの意味を、引退して、直接的な患者からの「まなざし」を失って初めて、体験的に知った。また「まなざし」の中には、特定の他者、不特定多数の他者からの「まなざし」ばかりではなく、「あの頃の我」からの「まなざし」もあることに気づいた。「あの頃の我」とは間違いなく、現在においては記憶の中に残る不在者である。患者や患者の家族からの「まなざし」に応えるために、必死になっていた「あの頃の我」からの「まなざし」が、今となっては、情け容赦なく、筆者に重くのしかかる。

コロナ禍で、多くの医師達は、医療崩壊ギリギリの状況下で、医療現場を支えている。かつて筆者は、新臨床研修医制度のために、地方病院から若手医師がいなくなり、医療崩壊寸前に追い込まれた時代を経験している。あの時の、必死になって医療現場を共に支えあった医療スタッフからの「まなざし」が蘇る。今、現場に復帰しても、足手まといにしかならないことは充分に自覚しているが、「コロナ終息を祈るだけでいいのか」「俺はいったい何をしているんだ」という、忸怩たる思いに苛まれる。関係存在の喪失に伴う、自己存在の揺らぎは、何も他者との関係性の喪失ばかりでなく、「あの頃の我」との関係性の喪失によっても、もたらされることを知った。

(3)自律存在の問題

自律によく似た言葉に自立がある。自立は医療現場では、トイレ、食事といった通常の日常生活を、自分一人で行うことができる事を意味する。一方自律は、自分で自分の事を決めることができる、という事をいう。

普段我々は日常生活において、自分が思うようにできることが当たり前のように思っている。しかし脳卒中により重篤な麻痺が生じると、また高齢になり足腰が弱ると、トイレ、食事といった当たり前のことが、自分一人でできなくなる。つまり生活上の自立が失われると、自分が当たり前のように「こうしたい」と思うことができなくなることで自律喪失が起こる。「こんなこともできなくなった私に、生きている意味があるのだろうか」という、自律存在の喪失がもたらす、自己存在の危機である。

筆者が内科医であった時代、自律存在の喪失に伴う嘆きを訴える高齢者を数多く診てきたが、筆者自身が、「高齢者枠」でコロナのワクチンを接種する年代に達した。現在、自立・自律に問題がないが、すでにこの苦しみを味わっている友人達がいる。

昭和を代表する禅僧、内山興正老師は晩年、NHKの番組に出演した時、坐禅ができなくなったら、念仏をやる、と言われた。坐禅ができなくなる、という状況は、まさに自己の自律存在が失われた時のことを意味する。そのような状況下においても、仏道を修することはやめない、という意志を示されたのであろう。

臨床現場では「人は生きてきたように死んでいく」と言われてきた。「半ちく」な人生を送ってきた筆者が、自律存在を喪失するような状況下で、内山老師のように、仏道を最後の最後まで貫く事ができるのであろうか。

機の深信とは、自分が罪業深重の凡夫であることを痛感することであるが、現代人にとっては、相当精神的に追い詰められた特殊な状況、つまり絶望感を背景にして生じる。筆者が、否応なく機の深信を自覚する状況に陥った時に、日々の称名念仏が、法の深信へと翻る契機となってくれる事を念じるほかない。

三木清没後80年に寄せて 室井美千博氏11月7日

志半ばの獄死 「三木清氏(評論家)二十六日午後三時豊多摩拘置所で急性腎臓炎で死去した。享年四十九、兵庫県出身。三高講師を経て独仏に留学、帰朝後法大教授、著書に歴史哲学その…

三木清 非業の死から80年 岩田文昭氏10月27日

三木の思索の頂点なす著作 三木清(1897~1945)が豊多摩刑務所で非業の死をとげてから、今年で80年を迎える。彼が獄中で亡くなったのは、日本の無条件降伏から1カ月以上…

《「批判仏教」を総括する⑦》批判宗学を巡って 角田泰隆氏10月20日

「批判宗学」とは、袴谷憲昭氏の「批判仏教」から大きな影響を受けて、松本史朗氏が“曹洞宗の宗学は、「伝統宗学」から「批判宗学」に移行すべきではないか”として提唱した宗学であ…

「共生」の理想は? ネットで高じる排外主義(11月12日付)

社説11月14日

各地で出没するクマ 「殺生」に供養の心を(11月7日付)

社説11月12日

排外主義への警戒 日常レベルの交流が重要(11月5日付)

社説11月7日
「墨跡付き仏像カレンダー」の製造販売は2025年版をもって終了いたしました。
長らくご愛顧を賜りありがとうございました。(2025.10.1)
中外日報社Twitter 中外日報社Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加