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宋・福州版大蔵経の特徴と「謎」をめぐって(2/2ページ)

立正大教授 野沢佳美氏

2023年5月1日 10時08分

ところで宋代中国でも、日本と同様、福州版は混合蔵であったのだろうか。現中国ではまとまった福州版は現存していないが、「鼓山大蔵」と呼ばれる隆興元(1163)年から翌年に福州の鼓山湧泉寺に納められた福州版の一部(約50帖)が各所に保管されており、その全てが東禅寺蔵である。わずかな現存数であり断言は躊躇されるが、宋代中国での福州版はどちらか1種で構成されていた可能性は高いように思う。もちろん宋代中国内での両蔵の混合事例を全く否定することはできない。

加えて、日本現存の福州版には思渓蔵仏典が数帖~400帖余も混合されている。思渓蔵とは、開元寺蔵と並行した時期(北宋末南宋初)の湖州(浙江省湖州市)で開板された王氏一族の施財による私版大蔵経で、13世紀以降の日本に多く輸入された。その思渓蔵の仏典がなぜ福州版に混合されているのだろうか。福州版の欠帖を補填するためであろうが、思渓蔵が混合されたのは日本に輸出される直前の中国内と考えるのが至当であろう。すると、福州版に思渓蔵が混合された場所はどこだったのか。

宋朝は対外貿易の役所として広州・泉州・明州・杭州の各港に市舶司を設置した。対日本貿易の拠点が明州(浙江省寧波市)であり、日本から(日本へ)の貿易船は必ず明州において入港・出港の手続きをせねばならない。つまり日本へ輸出された福州版は原則、この明州を出港したのであり、地理的に見ても思渓蔵が混合された場所は明州近郊のどこかであったはずである。

さらにさかのぼって福州版はどこで混合されたのか。前記のように同じ福州の「鼓山大蔵」は東禅寺蔵のみで構成されていた可能性が高い。それが宋代中国における「常態」であるならば、福州版が混合されたのも明州近郊のどこかであったのではないか。

20蔵以上も日本へ輸入された福州版の請来に関する史料において、入手地・入手方法等を明記した記録はほとんどないようであるが、そのことがうかがえる史料がある。

李宇の使者が入手

日吉大社に施入された宋版一切経について触れた『日吉山王利生記』(嘉元2〈1304〉年以降の成立。第七)がそれで、それによれば建長7(1196)年春、博多綱首(唐船運航の責任者)の李宇が使者を派遣して大蔵経を求めさせており、使者は明州で「大宋国福州東禅院の官本」を入手して持ち帰り、李宇は同年冬に日吉大社に納入している。これからすると日吉大社に納められた福州版は東禅寺蔵のみとも見えるが、同時期の印造・輸入である知恩院本・金剛峯寺本・醍醐寺本がいずれも混合蔵であるから、日吉大社本も混合蔵であったと思われる。

また、定舜が文庫本を入手した経緯を記録する「宋版一切経供養表白」(正慶2(1333)年。金沢文庫蔵)によれば、弘長元(1261)年に定舜は「大唐」の「明州」に着き「福州七千巻の一切経」を「二蔵」得て請来している。

特に注意したいのは李宇の使者が明州に到着したあとの行動である。従来の研究ではあまり触れてないが、使者は明州に到着した直後思いがけなく「経本」(大蔵経)に出合った。しかし「価格頗る不足」したため資金集めに奔走しているとき、遅れて同僚の船2隻が明州に着き、彼ら(傍輩)に相談してようやく購入資金を調達したという。使者はある程度想定した資金(砂金か)を持参していること、明州の「どこか」で福州版を「誰か」から購入していることが見て取れる。少なくともこの件は、福州まで至って福州版を求めたものでないことは時間的に見ても確実であろう。

日本現存の福州版が全て明州近郊で収集・購入されたとは断言できないが、逆に福州まで至って購入したという史料も見当たらない。まして福州版には思渓蔵が混合されている。日本へ輸出される福州版は「誰か」が江南各地の諸寺から掻き集めて明州で整え、不足分は思渓蔵で補填したうえで、日本の要求に対処していたのではないか。

とまれ、福州で開板された福州版は遠く海を越えて日本へ旅した。各所に納められた福州版のなかには戦火や自然災害等によって失われた一方で、多くの人々の手によって現在まで生き延びられたものがある。現存する福州版の調査、目録の刊行、画像の公開がさらに進めば前記した多くの「謎」が解き明かされるに違いない。その日を鶴首して待ちたい。

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