なぜ「宗教2世」なのか(1/2ページ)
武蔵野大名誉教授 ケネス田中氏
2022年の元首相銃撃事件の被告は、しばしば「宗教2世」として報道されている。最初に「宗教2世」という用語がメディアで頻繁に使用されるようになった時、私は不満と驚きを感じた。「カルト2世」なら分かるが、なぜ「宗教2世」なのだろうと不思議に思った。
実は、「宗教2世」という用語は、銃撃事件以前から学問の領域やメディアにおいて使用されていた。近年、その使用頻度はさらに高まっているようである。宗教学者の釈徹宗氏は、この用語の使用に慎重な姿勢を示しているが、日本社会一般では、あまり違和感や不満が共有されていないように見える。
この雰囲気の中、私の周りにいる仏教者たちに、「宗教2世」という言葉をどう思うかと尋ねてみたが、「ピンとこない用語である」とか、「考えさせられる言葉ですね」などという反応が目立った。不満・反対である、または、抗議したいというような意見は、個人のレベルでは聞こえてこなかった。
そこで、仏教・神道・キリスト教などの宗教団体はどうしているかを調べてみた。しかし、私が確認した範囲では、主要な既成宗教団体による目立った抗議や声明は見当たらなかった。『中外日報』には「宗教2世」に関する二つの記事が掲載され、用語の由来や採用の歴史などが学術的に整理されている(注)。しかし、既成宗教団体が不満・反対を表明し、抗議したという記事は見当たらなかった。
その後、このような状況を確かめるため、私は、いくつかの仏教団体の指導的立場にいる知り合いの方々に「宗教2世」の用語に対する抗議が行われているかどうか聞いてみた。しかし、答えは「いいえ」であった。抗議するどころか、「宗教2世」が問題であるという意識すらあまり感じていないようだった。これ自体も、私としては驚きであった。
「宗教」という言葉が、現代日本社会で多様な意味を持ち、複雑であることは確かである。それを示す、あるユーモラスな出来事を挙げたい。ある伝統仏教宗派に所属する京都在住の僧侶が、東京の大学に入学する子どもの下宿探しに付き添った。ある不動産屋で気に入った部屋を見つけたが、その部屋の説明書には「宗教お断り」という但し書きがあった。その僧侶が正直に「実は私のうちは寺なのですが」と伝えると、不動産屋の答えは「お寺は大丈夫です」だった。
私が、この話を講演などでする度、聴衆からは爆笑が起こる。なぜ、笑いが起こるかと考えると、この僧侶や聴衆にとっては、仏教が「宗教」であると認識しているが、この不動産屋にとって伝統仏教は「宗教」ではないと見ているからであろう。多分、不動産屋にとって、「宗教」とは問題を起こしやすい「カルト」のことであろう。
この不動産屋は、一般的な日本人の「宗教」への見方を象徴しているように思われる。つまり、宗教とカルトを混同し、「宗教=カルト」と捉えているのである。私は長年、仏教系大学で教鞭をとってきたが、18歳の大学生の多くも同様のイメージを持って入学してきた。授業で接する学生たちにとっても、「宗教」とは「怖い」もの、あるいは「カルト」や「戦争を起こすもの」といった印象が強かった。社会経験がまだ十分でない若い世代の反応には、現代日本社会の一般的な理解が率直に反映されていると言えよう。この背景があるからこそ、「宗教2世」という用語が問題視されにくいのであろう。
しかし、寺院、神社、教会などに関係している日本人の数は何千万と言っても過言ではない。それほどの日本人が、自分が関係を持っている寺院、神社、そして教会などは、「宗教」ではないと思っているのだろうか。もしそうであれば、そこには、矛盾が存在すると言わざるを得ない。





