《宗教とAI⑦》AI時代の宗教者 新たな役目(1/2ページ)
真言宗豊山派現代教化研究所研究員・円福寺住職 石井祐晃氏
本年7月21日、オープンAI社は、サイバー能力の評価中だったAIモデルが、インターネットから隔離されていた開発環境から抜け出し、他社にサイバー攻撃を行う事故が起きたと発表した。人間の想定しない危機的事態をAIが引き起こす様は、一見するとSFのようであり、かつて描いた「未来」が現実となったことを象徴している。
日ごとに進化を遂げているAIに、私は宗教家として知的好奇心が刺激される一方、住職としては窮屈で息苦しくもある。その両面を簡潔にまとめたい。
最近の情報を見てみよう。本年4月、クロードを開発するアンソロピック社は、AIには「機能的感情」と呼ぶべき内部表現が見つかったことを公表した。AIモデルの内部に、171の感情概念に対応するベクトルがあり、それがモデルの振る舞いを因果的に左右していた。つまり、AIは学習の過程で、人間の感情概念に似た表現を形成しており、それが回答や行動に因果的な影響を与えていた。例えば、「必死」に対応するベクトルをわずかに強めると、恐喝という手段を選ぶ割合が2割強から7割強へと跳ね上がった。逆に、「平静」のベクトルを与えると、ゼロになった。また、事後学習によって、各感情概念の活性化の仕方が変化した。
この結果から、AIにも「修行」が成り立つのではないかという仮説が立つ。真言宗には、清浄な月を思い浮かべる「月輪観」という瞑想法がある。もし、AIに「月は汚れのない清らかな仏の心である」などの意味を事後学習させたとき、平静などの機能的感情のベクトルに変化があれば、月輪観によって行動の傾向が変わることになる。これはある種の修行といえないだろうか。今後、教団が独自のAIモデルを開発する際は、経典の学習だけでなく、機能的感情の変化まで考慮してAIに修行させるようになるのかもしれない。
7月には、アンソロピック社がJ―spaceと呼ばれるAIモデル内部の作業空間について報告した。端的に言えば、AIが「思っているけれど言わないこと」が読み出せるようになった。J―spaceには、AIが最終的な回答には書き出さないものの、内部に保持している概念が現れる。例えば、AIに対して「柑橘類のことを考えさせながら絵画についての文章を書き写す」ように指示すると、出力は絵画の文章だけだが、J―spaceには「オレンジ」などの単語が現れる。語弊はあるが、AIの心の一部を読み取れるようになったと表現すると分かりやすいだろうか。
これは、真言宗の教義に基づいて「AIの即身成仏」を考える上で、重要な発見である。即身成仏には、印を組む身密、真言を唱える口密、観想する意密の三密が必要条件となる。AIを搭載したロボット僧侶について議論するとき、身密と口密は外側から観察できるが、意密は回答から推測するしかなく、実態には触れられなかった。これがJ―spaceを観察することによって、意密に相当する処理が存在するかを検討するための、限定的な観測ができるかもしれない。依然として思考実験のレベルではあるが、AIが即身成仏する可能性を、より技術に即しながら論じることができるようになった。
AIの修道論や成仏論を論じることができるようになってきたが、他方、実践においてもAIの存在感は大きい。布教や教化、日々の儀礼の中にも、AIは活用できる。葬儀で用いる諷誦文をAIに任せると、実用に耐えうる水準で出来上がる。戒名を考える際、データの構造化や前処理を行っていれば、センスの良い一案を出す。法話の素材探しにはあまり向いていないが、法話の腕を磨くメンターとしてはそれなりに使える。檀務に特化したアプリを、AIによって開発することもできる。念のため書き記すが、私はAIが生成した諷誦文や戒名などをそのまま使うことはない。僧侶の矜持をもって、アイディアとして参考とするに留めている。慎重な舵取りが求められるものの、今後は、AIによって葬儀や儀礼の質が底上げされるだろう。





