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第21回「涙骨賞」受賞論文 本賞

泡沫の小集団・信徳舎の活動とその特質

藤井麻央氏

五. おわりに

以上、第二節で本城、高橋、照峰の経歴を明らかにした後、第三節では三人の出会いと連帯感の基盤について分析し、第四節では信徳舎の活動状況を明らかにした。信徳舎という集団は、帰属する宗教の異なる宗教者たちが中心となり、雑誌の刊行と、雑誌の読者や地域の人々を巻き込んだ集会等を行った活動体であった。この活動の中心にあった真宗の本城、金光教の高橋、臨済宗の照峰の出会いは、雑誌や新聞等の活字メディアを通じて偶発的にもたらされ、彼らは自らの救済体験や宗教的欲求を相互的・共同的に確認する場として信徳舎の活動を共にしたと考えられる。彼らが追い求めていたのは、端的に言えば「私の真実の宗教」を突き動かしていく生き方であり、それ自体は、個人の体験の上に気づかされ、個人が引き受けていかざるを得ない私的な求道の営みである。その固有の生き方を語り合う信徳舎は、個人の主観のみに支えられた真実性を超えていくための相互検証の場となり得た。そして、本城を中心に確認したように、宗教の根源は一であるという考えのもとに各自の生き方を追求する志向を前にして、帰属する宗教の種類や宗教帰属の有無は大きな意味を持たなかったと考えられ、信徳舎は自ずから超宗派の集団となった。

信徳舎に限らず、近代宗教史においては雑誌と集会を組み合わせた各種の活動がみられるが、従来知られている活動は既成の教団運営や信仰営為に対して意義申し立てや新機軸を訴える主義・主張を備える場合が多い。信徳舎はこうした運動性に乏しく、超宗派性を備えながら既成の宗教活動との共存を可能とした。教団改革志向を備えた諸活動と対比するならば、信徳舎は自己改革志向であり、相対的に見れば個人主義的な交わりの性格が強いものであったという見方ができる。また、会則が見当たらずメンバーシップが曖昧であり、体系立った組織も有しておらず、その活動は当事者の自発性のみに支えられたものであった。このような信徳舎の性質ゆえに、中核にあった本城と照峰が亡くなると活動が継続することはなかった。

信徳舎は既成の教宗派の寺院や教会には果たし得ない機能を有していた一方で、通仏教や新仏教のような超宗派的に仏教改革を目指すことも、諸宗教の調和を唱えることも、ましてグローバルな展開を目指すこともなく、いつの間にか忘れられた存在となっていった。信徳舎は、明らかに近代宗教史における泡沫である。しかし、史資料を丹念に辿ることで、その足跡は確かなものとなった。そして、本城の活動を支えた雑誌の読者や、大三島に渡り照峰と共に活字を拾った修業者が居たように、信徳舎は少数かもしれないが人々に充足感をもたらすものであり、本城らの独りよがりの活動ではなかった。また、信徳舎の関係者が重層的に関与していた尾道求道会、更生社、生の会等の存在からは、信徳舎が極めて特異な活動体であったとも考えにくい。信徳舎のような小集団を掘り起こしながら、その異同や機能を明らかにすること、そして、本城と高橋と照峰が信念や気分を共有しながら、それぞれの宗教的語彙で語った、自己が砕かれる体験から生かされて生きる道を求めた実践を明らかにしていくことは、近代宗教史の周縁を照射することにならないだろうか。

謝辞

西光寺、金光図書館の方々には情報提供と資料貸与のご協力をいただきました。公益財団法人愛媛県文化振興財団からも貴重な情報提供をいただき、『正受』『生』の整理は道蔦汐里氏にご協力をいただきました。

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