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第21回「涙骨賞」受賞論文 本賞

泡沫の小集団・信徳舎の活動とその特質

藤井麻央氏

  1. 鈴木貞美『「生命」で読む日本近代』NHK出版、1996年、33-34頁。
  2. 本城徹心『生命発見の道』松山信徳舎、1928年、27-28頁。
  3. 前川理子「近代の生命主義」池上良正・小田淑子・島薗進・末木文美士・関一敏・鶴岡賀雄編『岩波講座 宗教7 生命』岩波書店、2004年。
  4. 本城徹心「私の宗教」『信と生活』中外出版、1924年、227-228頁。
  5. 高橋正雄「たより」『生』1巻11号、1929年12月。
  6. 遠藤織枝他編『使い方の分かる 類語例解辞典(新装版)』小学館、2003年、松井栄一「「心持」と「気持」」『武蔵大学人文学会雑誌』13(4)、1982年3月。松井によれば「心持」「気持」「心」「気」「思い」「心地」「気分」は関連語・類義語である。
  7. 高橋正雄『道を求めて』篠山書房、1926年(高橋正雄『高橋正雄著作集第1巻道を求めて』高橋正雄著作集刊行会、1966年、59頁)。
  8. 「求信会座談 昭和二年十二月十四日 大阪三輪佐平邸ニテ」『生』3巻1号、1931年1月。
  9. この分析は、Danièle Hervieu-Léger, Le pèlerin et le converti. Paris:Flammarion, 1999, pp.177-190.を参照した。エルヴュ=レジェは、個人化する現代における信念の検証について論じており、その議論を近代に適用するには大正期から昭和初期における宗教と個人の関係を詳しく検討する必要があるものの、既成の教団の外に個人の信念を発信した信徳舎を理解する補助線になると考えている。
  10. 高橋正雄「たより」『生』3巻4号、1931年4月。三月に広島信徳舎の落成と本城の叢書五号刊行を記念した座談会と講演会が同舎および広島市公会堂で催されたとある。
  11. 本城徹心『私の観る無量寿経』松山信徳舎、1930年、87-88頁。
  12. 高橋正雄「引導を渡し合った仲」『正受』1932年2月号。
  13. 「叢書刊行に就いて」本城徹心『生命発見の道』中央堂印刷所、1928年。
  14. 「はしがき」本城徹心『私の見る無量寿経』松山信徳舎、1930年、「はしがき」本城徹心『私の観る正信念佛偈』広島信徳舎、1931年。
  15. 本城徹心『私の観る正信念佛偈』広島信徳舎、1931年、1頁。
  16. 西本法龍については、福井県学務部社会課編『福井県社会事業概要』福井県学務部社会課、1927年、20頁。
  17. 本城徹心『私の観る無量寿経』松山信徳舎、1930年。講演したのは1928(昭和3)年10月である。
  18. 高橋正雄「たより」『生』2巻11号、1930年11月。
  19. 本城徹心『私の観る正信念佛偈』広島信徳舎、1931年、巻末広告。
  20. 例えば、高橋正雄「たより」『生』5巻9号、1933年9月。この時、高橋と照峰は本城等の追悼のために福井に招かれている。翌年にも、福井信徳舎の活動が『生』には掲載されており、本城死後も活動を続けていたとみられる。藤原鉄乗については注8を参照。
  21. 高亀良樹「こゝまで歩み来つて」『更生』1935年4月号、森光繁『忘れ得ぬ人々』1970年(私家版)。
  22. 例えば、石川県能美郡から来た大倉重兵衛(照峰馨山『転身の一路』篠山書房、1932年、16-21頁)、古本屋で照峰の本を見つけて「宗教の本質はここだ」と照峰を頼って来た大阪の「青年H君」(照峰馨山『無中に道あり』丁字屋書店、1941年、187-203頁)等。
  23. 上浦町誌編さん委員会編『愛媛県上浦町誌』上浦町役場、1974年、448頁。
  24. 『更生』は三原市立図書館蔵を閲覧しているが、1926(大正15)年から1930(昭和5)年の間が欠号しており、この間に恒常的に刊行できていたかは確認できていない。
  25. 高亀良樹「こゝまで歩み来つて」『更生』1935年4月号。
  26. 「本誌の使命」『更生』1937年2月号。
  27. 森光繁『忘れ得ぬ人々』1970年(私家版)。高橋も「正受のあつまり」に学校の先生が集まっていたことを残している(『生』5巻6号、1933年6月)。
  28. 西光寺蔵四七号分(経緯が不明の『しんとく』1930年2月号、及び戦後再刊の一号を除く)と金光図書館蔵一五号分の重複を差し引いた数。
  29. 高橋正雄「照峰馨山」『生』15巻2号、1943年2月。
  30. 鶴見俊輔は「サークルは煙のようなもので、そこにそれがあったかどうかは、一条の煙によってのみ知られる。その煙も、しばらくの後にどこかに行ってしまう。公けの記録ののこる団体の歴史に比べれば、はかないものだが、しかし、生命は、はかないものの側にあるともいえる。」と述べている(「なぜサークルを研究するか」思想の科学研究会『共同研究『集団』』平凡社、1976年、7頁)。

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