「宗教2世」をめぐる用語と意味の変遷
2.宗教学における用語とその意味の変遷
本章では、今日使用されている「宗教2世」という用語とその類義語が、銃撃事件以前・以後の宗教学でどのように議論されてきたかについて、先行研究を整理することで分析していく。
信者の子弟という存在は、宗教学、特に新宗教研究における信仰継承研究の分野で議論がなされてきた55以前から、信者の親による未成年の信者子弟に対する輸血拒否問題については医学と人権の観点などから議論され、学校や家庭での宗教教育における信教・思想の自由については法学や教育学において議論がある。しかし本稿では、宗教学における「宗教2世」という言葉やその類義語そのものについての議論を目的とするため、医学や教育学、法学分野での議論については言及しない。。1980年代には、飯田剛史・芦田徹郎(1980)や渡辺雅子(1986)、90年代には芳賀学(1992)、谷富夫(1993)などの論考の一部ですでに「2代目以降の信者」について言及がなされていた。しかし渡辺(1990)が「2代目以降の信者に関する調査はほとんどないに等しい」と述べたように、当時「2代目以降の信者」にはほとんど焦点が当てられていなかった。
2000年代に入ると、渡辺(2003)、猪瀬優理(2004)、芳賀・菊池裕生(2006)、塚田(2006)、高橋典史(2008)、李賢京(2010)などの成果が提出され、2011年には猪瀬による『信仰はどのように継承されるか―創価学会にみる次世代育成』(北海道大学出版会)が出版されるなど、信仰継承研究が蓄積されていった。この信仰継承研究の注目の高まりの背景には、「「発生論」から「変容/継承論」へ研究の主眼をシフトせねばならない状況がある」[寺田・塚田2007:15]との指摘があったように、各新宗教教団が全体的に継承の時期を迎えていることから、継承という事象への着目の重要性が高まったこともある。その後、新宗教教団の教勢が漸減・停滞状況を迎えていることや、信者の高齢化、新規信者の獲得が困難化していることなどを踏まえ、塚田(2016)も「教団内再生産、すなわち信仰継承・次世代育成といった局面」が焦点化されてくると指摘した[塚田2016:7]。
一方で猪瀬(2002)のように、教団を脱会する「2世信者」に着目した研究もあった。猪瀬は「2世信者」を「12歳以下の時に親を信者として持つことで、当教団の教理や組織の影響を大きく受けた人々」[猪瀬2002:21]と定義し、教団からの脱会過程に焦点を当て、「1世信者」と「2世信者」とでは脱会に伴う情報や人間関係の性質が異なることを明らかにした。しかし、脱会した「2世信者」という存在は、金子昭(2023)も指摘するように、教団に「信仰後継者育成の失敗事例」として否定的に扱われ、教団の公的言説からも意図的に隠蔽されてきたため[金子2023:9]、研究においても少数派の観点に留まってしまっていた。
つまり宗教教団の信者の子弟は、手薄だった「2代目以降の信者」研究の中心的対象であり、特に人口減少時代を迎え、教勢の衰退が指摘される新宗教教団内においては、教団存続のためのキーパーソンとして研究上注目された。そのため、親などから受け継いだ信仰を“正しく”継承した人、継承された人という観点から取り上げる研究が主流となった。一方で脱会した信者の子弟に関する研究は少数であり、関心度合いは低かったといえる。
用語に着目すると、これらの銃撃事件以前の研究では、主に「2世信者」という用語が使用されていた。宗教教団において信仰を自覚的に獲得した「信仰初代」「1世信者」に対して、彼らから信仰を受け継いだ次の世代という意味で、比較的ニュートラルなニュアンスで用いられ、特に否定的な意味は付与されていなかったと見られる。また、信仰の1代目から数えて3代目は「3世信者」などとも表記されてきた。
具体的には、創価学会の信仰継承について調査を行った猪瀬(2004)は「本稿では、自分から選択して入会した信者を1世信者、信者である親や祖父母の影響のもとで信仰継承した信者を2世信者と捉える」と説明している[猪瀬2004:34]。また塚田(2006)は「①両親が同じ宗教の信者であり、②自発的な動機を持たずにメンバーシップを獲得し、③家庭内で信仰に基づいた教育的影響を幼少期から受けている信者を、「2世信者」とカッコつきで用いたい」としている[塚田2006:82]。李(2010)では「「3世信者」とは、戦前もしくは戦後に入信した祖父母世代(初代信者)から父母世代(2世信者)を経て、天理教の信仰を「イエの宗教」として獲得した信者である」と説明する[李2010:85-86]。1世から数えて何代目になるかを単に説明する用語(「2世信者」「3世信者」)が用いられる一方で、2世以降の総称として括弧付きの「「2世信者」」を用いる動きも見られ、信仰継承研究における分析概念として、自ら入信したわけではなく親や祖父母から信仰を受け継いだ信者を、「2世」と「3世以降」で区別せずに捉えることが試みられていた。
「宗教2世」は、詳細は後述するが、当事者が自称として用い始め、2018年以降には報道でも取り上げられ始めた。宗教研究においても、先述のように銃撃事件以前から塚田(2022)が、信者とその教団の下、教えの影響を受けて育った子という意味で、2世以降の区別なく、また脱会・離脱者も含むものとして用いていた。この際、「宗教2世」という用語の採用に「やや慎重かつ抑制的でありたい」という留保を示しつつも、「主に当事者サイドからの問題告発的な切なる発信に基づいた動向である」ことを理由に、当事者の自称であった「宗教2世」を採用している[塚田2022:404]。
以上を整理し、使用された用語と意味の変化に着目すると、銃撃事件以前の研究では「2世信者」という用語が主に使用され、使用者により定義が多少異なりつつも、総じて、否定的な意味ではなくニュートラルな意味で、宗教教団に所属する2世という立場を端的に表していた。そして銃撃事件の直前には、後述するような当事者側の声や動きに反応して、「宗教2世」という用語が出現し、3世以降や宗教教団からの脱会・離脱者も含むものとして使用されるようになったと整理できる66表現上類似した用語として、「信仰2世代」や「教団第2世代」も使用されている。森(2012)は天理教の現地化に関する研究の中で、「1999年、内戦からの教会の復興の中で、コンゴブラザビル教会はコンゴ人の信仰2世代の人たちによって運営されるようになり……(後略)。」という形で、現地で信仰を獲得した世代から数えて2世代目という意味で使用している[森2012:29]。また藤井(2015)が用いた「教団第2世代」は、「明治16年金光大神死去前後に誕生し、明治末から大正にかけて東京の大学にて宗教学や哲学を学び、教団の要職を担うようになる教師たち」を指したものとして用いられたものであった[藤井2015:112]。つまり教祖存命期に教団の中心的存在であった第1世代に対する、次の世代という意味合いでの「第2世代」であった。これらの用語は、広く一般の信者の子弟を指すものとして使用されたわけではない。。


