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孤高の僧 青柳貫孝の生涯 ― 民族の違い超え人間の平等貫く(2/2ページ)

エッセイスト 寺尾紗穂氏

2015年11月13日

南洋寺ができて5年後には東京・小石川の源覚寺から鐘を譲り受けた。この鐘を鳴らすと隣のテニアン島まで音が届いたといい、貫孝の息子孝壽もおはじきで数えながら除夜の鐘をつかされたことを記憶している。この鐘はサイパン戦を経てアメリカに持ち去られ、昭和49年に再び源覚寺に返還されることになる。

昭和9年、東京で開かれた汎太平洋仏教青年大会に、貫孝は6人のチャモロ青年を伴って来日した。青年らを交えての当時の座談会の様子が、『大法輪』創刊号に掲載されているが、その中で貫孝はサイパンの「心なき内地人が島民を馬鹿扱ひにするのは非常に困ります」と発言している。貫孝はチャモロたちがスペイン統治時代の名残で敬虔なカソリックであることを知り、仏教を説くことはしなかった。貫孝にあったのは、ただ民族の違いをこえて能力に差はなく、人は平等であるべきだという強い確信であっただろう。柔軟で人間的魅力にとんだ貫孝を信頼していたからこそ、青年たちはキリスト教の神父たちの反感を買いながらもこの仏教大会に参加したと思われる。

ちなみに、この来日時にも貫孝は中村屋の相馬夫妻のもとに挨拶に訪れており、旅費などの資金的援助を受けたかと思われる。貫孝はこのとき知恩院での歓待も受けているが、知恩院の僧侶たちが芸者を並べて歌え踊れともてなそうとしたやり方に反発し、青年たちを引き連れて退席している。僧侶としての潔癖を求める厳格な一面も持っていたことを示すエピソードだ。

八丈島で香料栽培

昭和19年サイパンに戦火がせまり、貫孝は19歳だった愛娘弥生を失う。敗戦で多くの日本人移民が無一文となり、帰国したが、貫孝は内地にとどまらずそのまま八丈島に渡っている。八丈島からサイパンに渡った人々は、そもそも島での暮らしがままならなかった人がほとんどだ。戦後の暮らしの再建も目処もつかない、そんな大勢の人々と共に、敗戦時すでに51歳となっていた貫孝は八丈島へ渡ったのだ。

貫孝にはあるもくろみがあった。インドや東南アジアを視察した若い頃に知ったと思われる香料栽培に目をつけたのだ。東京の香料会社、曽田香料と話をつけた貫孝は八丈島に農場と工場を開き、ベチバーというインド原産の植物を中心に香料栽培を始めた。試行錯誤の中、効率的な香油抽出法を工員らが生み出し、ビジネスとして軌道に乗せた。10年近く順調に続いた工場経営だったが、やがて輸入香料の割合が増えて曽田香料の方針も変わり工場は閉鎖する。現在八丈島中之郷には工場跡地があり、近くに住む数人の当時の工員たちが貫孝の記憶を伝えてくれる。

やがて内地に戻った貫孝は、横浜で易をしたり茶道を教えたりしながら細々と暮らした。千葉の無住の寺に入ることも考えたがかなわず、最後は所沢の団地で息子夫妻のそばで亡くなった。享年89歳。

師の渡辺海旭に比べると、貫孝の一生はほとんど人に知られていない。しかし、大東亜共栄圏という軍国日本の夢が肥大化していた時代、サイパンでも神社が作られ、島民に日本語が教えられ、多くの仏教者が戦争賛美に流されていった時代に、そこで民族の違いを超えて人間の平等を考え、一人奮闘した僧侶がいた事実に私は救われるような思いがする。サイパンを含め日本が支配を広げたあちらこちらでスローガン化され、空しく響いただろう「民族協和」という言葉の本当の意味を貫孝は知っていたに違いない。いや、戦後は八丈島に渡った貫孝ならば、「民族協和」じゃありません、「人間協和」です、と笑ったかもしれない。晩年まで安住の寺を持ち得なかった流浪の僧侶に、真の仏教者の素質を見る思いがする。

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