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第22回「涙骨賞」を募集
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なぜ僧堂で暴行事件が起きるのか ― 競争なき閉鎖性が暴力の土壌(2/2ページ)

慶応義塾大商学部教授 中島隆信氏

2016年12月14日
体罰に厳しい視線

次に教育性の影響について考えよう。まず、人間の行動を大きく“消費”と“投資”に分けてみよう。前者は現時点において、後者は将来時点においてそれぞれ満足を得るための行動と解釈することができる。すなわち、投資は将来のより大きな収穫を得るため現在の快楽を我慢することである。その意味から、医療は明らかに投資である。腹にメスを入れられたり、苦い薬を飲んだりすることで快感を得る人はいないだろう。将来、健康を得られると信じているからこそ、現時点で苦しい手術や投薬に耐えられるのだ。

教育もこれと同じである。勉強自体はあまり楽しい活動とはいえない。できれば友人と遊んだりゲームに興じたりした方が現時点での快楽を得ることができる。しかし、その快楽を我慢し勉学に励むことによって、将来の収入が増え、より多くのお金と時間を娯楽に費やすことができるようになる。

この現時点での苦痛がくせ者である。たとえば、かつて教師が生徒をビンタしたり廊下に立たせたりすることが教室内でまかり通っていた頃、そうした体罰を正当化する理由が“教育の一環”だった。つまり、まともな人間を育てるためには、体罰も必要という考え方である。さすがに現在では、学校での体罰にも厳しい目が向けられるようになったが、家庭における親から子どもへの虐待は“躾”の名のもとに正当化されることもある。

警策は愛のムチ?

教育が体罰に結びつきやすいもうひとつの理由は、効果に“時間差”が見られることである。教育の効果はすぐに現れるものではない。大人になってから「あのとき学校で先生が真剣に叱ってくれたお陰で今の自分がある」などと“愛のムチ”の効用について述懐する人もいる。また、時間差ゆえに単なる“平均への回帰”が体罰の効果と誤解されることもある。人間のコンディションにはバイオリズムがあり、好調と不調を繰り返すことが多い。つまり、不調のときに体罰を受けたとすると、その後に訪れる好調が単なる平均への回帰なのか体罰の効果なのか識別がしづらいのである。

僧堂での修行は僧侶になるための教育と解釈できる。しかも、修行としての坐禅は常人ではなかなか耐えられない厳しいもので、とりわけ警策を与える行為などは、その意味を理解しない第三者が見れば体罰だと見なされかねない。逆に、そうした修行の厳しさが容認されれば、今度は行き過ぎがあっても見過ごされる可能性も出てくるだろう。

自ら活動に責任を

それでは今回のような僧堂における“暴力事件”を防ぐにはどうすればよいのだろうか。宗教に“閉鎖性”と“教育性”が存在することは否めないとしても、それが行き過ぎた暴力につながらないよう組織の透明性を高めることが求められるだろう。たとえば、僧堂を在家信者に公開し、折に触れて座禅会を催すなど外部の目が行き届くようにする。あるいは、宗務庁が修行僧に修行の内容をときおり報告させ、問題があると思われた場合は聞き取り調査などができるようにする。

宗教の性質上、教団におけるすべての情報を公開して国民の理解を得ることは不可能だし、すべきとも思わない。なぜなら、宗教にとってある程度の閉鎖性は必要不可欠な要素でもあるからだ。実際、宗教法人法でも何が修行で何が暴力かなどの定義はなされていない。しかし、それには宗教団体への国民の“信頼”が前提となっていることを忘れてはならない。“信教の自由”とは教団が何をやってもいいという意味ではない。それは信仰上の選択の自由として国民に与えられた権利なのである。本来の意味での“信教の自由”を守るためには、教団は国民からの信頼を維持すべく、自らの活動に責任を持たなければならない。それができなければ行政の介入を招くことを肝に銘じておくべきだろう。

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