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第22回「涙骨賞」を募集
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アンベードカルと仏教改宗運動(1/2ページ)

京都産業大教授 志賀浄邦氏

2018年9月14日
しが・きよくに氏=1974年、大分県生まれ、京都大大学院文学研究科博士課程修了(仏教学専修)。専門分野は、仏教学・インド思想。京都産業大講師を経て、2018年4月から現職。主な著書に『社会苦に挑む南アジアの仏教』(関西学院大学出版会、共著)などがある。

2018年2月、筆者はインド・チャティースガル州にあるプラギャーギリ(智慧山)という山の頂に鎮座する黄金の大仏の前にいた。同州ドンガルガル市において、毎年この時期に開催される国際仏教徒大会に参加するためである。「山の砦」を意味するドンガルガルには、山々が連なり、ヒンドゥー教やジャイナ教の聖地が点在している。

今年25回目を迎えた国際仏教徒大会は、地元仏教会によって主催され、毎年大仏が完成した2月6日に開催されている。例年日本を含む世界各地から多くの仏教僧や仏教徒が参加するが、ここ数年は在インド50年余になる日本人僧・佐々井秀嶺師が大会の導師を務めている。元々この大仏は、佐々井師とも関係が深く、長年比叡山で修行したインド人僧サンガラトナ師が日印仏教友好協会(現パンニャ・メッタ協会)の支援を受けて1998年に建立したものだという。

会場にはすでにナーグプルなどインド各地から数万人の仏教徒が集結し、イベントの開始を待ちわびていた。関係者の挨拶や来賓のスピーチの合間に、舞台上では歌や踊り、劇などが演じられる。それらは概して、B・R・アンベードカル(1891~1956)という一人の偉人の功績を讃えるものであった。

数ある演目のなかで、特に印象に残っている演劇がある。それはアンベードカルによるダリット(「虐げられた者」の意で旧不可触民のこと)の解放を象徴的に再現するものであった。上半身が裸で腰布のみを着用し、首から痰壺をぶら下げ、腰から箒を下げた男が、周囲からの視線に怯えながら前かがみの姿勢で3人の男の前を横切ろうとする。3人の男とは、バラモン、クシャトリヤ、シュードラに属する者であるが、腰布の男はそのいずれからも叱責、罵倒され、その場から立ち去るよう命じられる。

途方にくれた男のところに、眼鏡をかけ背広を羽織った、立派な体躯の男が突如として現れる。背広の男は、腰布の男の身体から痰壺と箒を取り去り、彼を勇気づけ、祝福を与えるのである。腰布の男は歓喜に震え、胸を張って笑顔で観衆の方を向く。最後に背広の男は、人々に向かって人間の尊厳と平等について語るのである。言うまでもなくここでの「腰布の男」とはダリットを指し、「背広の男」こそがアンベードカルである。

「マハール」という旧不可触民出身であったアンベードカルは、幼少時代から幾多の差別を経験しながらも学業に秀で、海外留学を経て帰国後は、独立後のネール政権下でインドの初代法相となった。憲法起草委員会の委員長に任命され、インド共和国憲法の起草に際して中心的な役割を果たす。そしてついに憲法第17条において不可触民制の廃止を明文化するに至った。彼は元々ヒンドゥー教徒であったが、最終的に、ヒンドゥー教自体を内部から改革することによって差別問題を解決しようという道はとらなかった。彼は、1935年に行った演説のなかでヒンドゥー教以外の宗教への改宗を正式に宣言したものの、すぐに改宗を行うことはなかった。それから約21年間、研究と熟慮を重ね、最終的に56年10月、数十万もの下層民衆と共に仏教への集団改宗を敢行するのである。

前述の演劇の話に戻ろう。筆者なりに分析すると、これは「不可触民出身であるが、仏教徒となったアンベードカルが差別と貧困に苦しむダリットを救済する」、すなわち「不可触民(仏教徒)自身が自ら行動を起こし、自分たち自身を解放する」という構図になっていることがわかる。

もちろんダリット民衆がある団体を組織し、政治的・社会的な側面から解放運動を展開することも可能であろう。しかしながら、ヒンドゥー教徒が圧倒的多数を占めるインド社会では、社会的上位者(ヒンドゥー教高位カースト)が弱者(下層カースト、不可触民)を救済するという構造を変えることは難しい。つまり、不可触民はヒンドゥー教という枠組みのなかにいる限り、ブラーマンを頂点とするカースト(もしくは浄・不浄)イデオロギー ――換言すれば、聖俗両フィールドにまたがるヒンドゥー・ダルマ――の言説空間にとどめ置かれ、「救済されるべき哀れな人々」という受動的な立場を脱することができないのである。

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